古いブックマークの罠
2009.7.1

バスの窓、新宿 2002年
Not foundだったり、興味が無くなったサイトを片っ端から消していく途中、
日記に「死にそうだったので仕事を辞めた」と書いたきり
更新がぱったりと無くなっていたデザイナーさんのサイトを発見して
こっちまで鬱になったり
ブックマークした当時の嫌なことを思い出して
死にたくなったりした。
ずっと整理しなきゃなと思っていたブックマークだったが
こんな落とし穴があるとは思わんかった。
もう放っとこう。
2009.7.1

バスの窓、新宿 2002年
Not foundだったり、興味が無くなったサイトを片っ端から消していく途中、
日記に「死にそうだったので仕事を辞めた」と書いたきり
更新がぱったりと無くなっていたデザイナーさんのサイトを発見して
こっちまで鬱になったり
ブックマークした当時の嫌なことを思い出して
死にたくなったりした。
ずっと整理しなきゃなと思っていたブックマークだったが
こんな落とし穴があるとは思わんかった。
もう放っとこう。
2009.7.3

多摩の夕日 2002年
今年に入って最初のひぐらしの鳴き声を夕方に聞いた。
何度聞いても胸の締め付けられる声だ。
ただの虫の鳴き声に、なぜ人間は心を動かされるのだろうか。
こんなに姿かたちの違う生き物の行動が
夏の日の終わりの寂しさを喚起する不思議。
それはただ、ひぐらしという虫の生が短いことや
昔からその声が同じ場面で聞こえていたから、
というような知識を知っているということだけじゃなくて
もっと深いところで感じていることだと思う。
やっぱり、虫も人間も、元をたどれば
同じ魂を持っているからじゃないだろうか。
ひぐらしも、夏の日が終わるのが寂しいのだ。
その心が、音波に乗って、人の耳に届けば
音叉が共鳴するように、人の心も震えるんじゃないだろうか。
2009.7.4

歩道橋から 2002年
お気に入りサイト紹介ページを作るのに
やっぱりブックマークをチェックせざるを得ないので
何年も訪れていなかったサイトを順番に開いていく。
いい意味でも悪い意味でも、今はネットが日常に浸透したが
まだその存在自体が珍しかった5年ほど前が
一番面白い時期だったような気がする。
インターネットというものが何だかよく解らないけれども
ただ新しくて面白そうだというだけの理由で、
様々な人が手探りで自分のサイトを作っていた。
僕もそんな一人で、大した内容もないものをアップロードしては
CRTの向こうの反応を見てニヤニヤしていたものだ。
ああ、今も同じか。成長していませんね。
5年も経つと、自主制作系のサイトは
半分以上が行方不明に。
生き残っているのは、お金が絡んで成功しているサイトと
本当にものを作るのが好きな人が作っているサイトと
ただプロバイダーを変えてないので残っているだけのサイトだ。
ブックマークに残ったサイト名をクリックしてもクリックしても
Not foundやらForbiddenやらが続き
やっと表示されたサイトが1ヶ月以内に更新しているのを見ると
続けることって大事だなあと思うのだった。
2009.7.5

首都高速 2008年
よく見る夢のひとつに、車を運転している夢がある。
いろんな場所で乗っているのだが、共通しているのは
なにやら狭い場所で運転していることと
ブレーキがほとんど効かないことだ。
力の限りブレーキを踏みつけても、車は完全に停車せず
結局何かに衝突して、嫌な音を聞くことになる。
普段あまり車を運転せず、苦手意識を持っていることが
こういう夢に繋がっているのかもしれない。
目を覚ましてほっとするのと同時に
ますます車の運転が嫌いになっていくわけだ。
2009.7.8

ゆうや君ちの近所の公園で 2007年
に出会ったのは竹富島だった。
日本縦断の達成後、沖縄本島に帰るフェリーが
石垣島から出航するまでまだ時間があったので
近隣の島をちょっと見てみることにした。
そこで竹富島にとった宿に、ゆうや君一家は泊まっていたのだった。
その日宿泊していた人達は、偶然にも関東在住の人ばかりだったので
東京へ帰った今でも、付き合いは続いている。
写真はゆうや君一家にお呼ばれしたときに
皆で公園へサッカーをしに繰り出したときのものだ。
小学生のゆうや君の態度はめまぐるしく変わり、
遊び、泣き、笑い、怒られ、ぐずり、寝るという
子供のあらゆる側面を一日にして披露してくれた。
子供と妙に気が合うのは
自分にまだそういう部分が残っているからだろうなあと思う。
2009.7.9

秋葉原 2007年
なんかの研究で、学生をプログラミングに向くグループと
向かないグループに分けることに成功して、就職に役立てることが出来た
と書いていた。
プログラミングの向き不向きは実際あると思う。
ウェブの仕事をしながら、嫌々プログラミングに携わっている人を
何人か知っているし、嬉々として取り組んでいる人もいる。
これはもう、本当にただの適性なんだと思う。
僕はと言えば、まぁそこそこ楽しんでやっている方ではないだろうか。
思い描いた通りにプログラムが動いた時の喜びは、今でも感じる。
そこから辿った原体験は何だろうと考えると
思い当たったのは、レゴブロックだった。
自分で正解を思い描いて、その過程を模索する。
そんなパズルゲームを楽しめる人が、プログラマーになるんじゃないかな
と思う。
2009.7.11

庭で遊ぶラン 2004年
今日はなぜかランのうんこのにおいを思い出したので
ランについて書かねばなるまい。
ランは一昨年まで我が家で飼っていた
ライオンという種類の長毛種の雄の兎だった。
その前にも雌の兎を飼っていたのだが、彼女が去った後
妹がどこからか連れてきたのだった。
よく走るので、ラン、というシンプルな命名方法が採られた。
毛の生えている動物は皆そうだが、特に毛の長い彼は
ことさら東京の夏がこたえるようだった。
氷水を入れた袋を頭の上に置いてやると、
気持ち良さそうに寝ていたものだ。
今の家に引っ越してからは、細長いベランダに出ていることが多かったので
ベランダの端から端へと、よく追いかけっこをした。
小さなランを踏まないように気をつけながら、走らなければならなかった。
また、追いかけっこ以上に好きなのは、頭を撫でられることだった。
鼻先からお尻の方まで、長い間丁寧に撫でてやると
やがて血行がよくなるのか、後足で耳をぼりぼりと掻いた。
そして、撫でたお礼のつもりなのか
手をペロペロとなめてくれるのだった。
兎には食糞といって、一度食べた餌を再度消化するために
自分の糞の一部を食べる習性がある。
全部食べてくれればいいのだが、食べきれないこともあるようで
残り物がその存在を臭いで主張していることがしばしばあった。
ランは体臭がほとんどなかったので
ランのにおいというと、当時は臭くてたまらなかった
あのうんこのことを懐かしく思い出す。
そしてランが、どんなにすてきな存在だったかということも。
2009.7.12

風邪を引いた日 2008年
真っ黒も飽きたのでさっぱりさせた。
あとお気に入り写真サイト紹介ページをつけた。
もっと種類を増やそうかとも思ったが
このサイトの性質を考えて写真サイトに絞った。
順次増やしていきたい。
今日の写真は、とある日の夕暮れ。
夕空が映える季節になってきた。
夕方は蚊と戦いながら空を要チェックだ。
2009.7.13

東麻布 2008年
デザイン事務所に勤めていた頃、
よくポジフィルムのスキャニングをやらされた。
ポジフィルムはカラースライドフィルムとも呼ばれるもので、
ネガフィルムと違って色が反転しておらず、
光に透かすとそのまま見られるフィルムだ。
事務所にはエプソンのでっかいスキャナーがあり、
フィルムを専用の枠にはめこんで、Macの読み取りソフトを起動させると
裏から光を当てられたフィルムが画面上に表示された。
用途にもよるが、印刷用に読み込む場合は高い解像度が必要になるため
1枚スキャンするのに数分かかることがあった。
そろそろフィルムカメラで撮った写真をサイトに載せたいと思い
いろいろ調べてみたが、フィルムスキャン周辺の状況は
当時とあまり変わってないらしい。
高価なスキャナーを買うお金もないし
ひとまず、富士フィルムのデジタル化サービスを使ってみることにする。
写真はポジフィルムの後ろから光を当てた状態で、
デジカメでマクロ撮影して取り込んだ。
いろいろと調整が面倒くさかったが、こういう手もありかもしれない。
2009.7.14

ある門番 2009年
耳鼻科の通院で新宿へ。
薬はわりと効いていたので続けることにした。
診察の後、何十年ぶりかで、あの鼻から何かを吸う機械を使わされた。
何を吸ってるのかはタイミングを逸してしまい聞けずじまい。
でも鼻はスースーした。
隣の三井ビルのEPSiteでは、色とりどりの
カエルやら爬虫類やらの写真展をやっていて、けっこう面白かった。
小さい方のギャラリーは、アマチュア写真家の撮った
御蔵島(みくらしま)という伊豆諸島の島の写真展で
島のあちこちで見られるというイルカの水中写真がたくさんあった。
聞いたこともない島だったが興味をそそられた。
その後冷たい讃岐うどんを食べて、もう一度オリジナルプリントを見たかった
ライカ銀座店のエリオット・アーウィットの写真展へ。
販売もしていたそうだが、あのくらいの写真家のオリジナルプリントって
1枚いくらするんだろうか。30万くらいかな。
同じく銀座のリコーのギャラリーで、
ハービー山口さんの写真展もやっていたはずだが
今日は休館日だった。残念。
行きに駅のプリントショップで出したネガを受け取って帰る。
感度の低いフィルムで撮ったものは、1/3くらいが露出不足で写ってなかった。
また露出は合っていても、絞りを開きすぎてピントの範囲が狭くなり過ぎ
必要以上にボケてしまっている写真も多かった。
こういう勘はなかなか身に付かない。
ただ母の還暦祝いの写真はけっこうよく写っていたので、安心した。
有楽町のビルの谷間では、ビアガーデンをやっていて
バンドのサウンドと、喧噪と、いいにおいが漂っていた。
ギャラが入ったら、友達を誘ってビールを飲みに行かねばなるまい。
2009.7.15

札幌 2007年
“デザインをしていた時と同様、シンプルで洗練されており、かつ論理的で調和のとれたものを目指しているんだ。シンプルな形、明るい色、そして白いスペースを多用する。自分のイラストをポスターのように考えているんだよ。”エリック・カール
2009.7.17

北海道大学構内にて 2005年
北海道新聞によると、漫画「動物のお医者さん」の主人公ハムテルにはモデルになった人がいて、それは札幌の動物病院の院長、湯山素(ゆやまもとし)先生なのだそうだ。漫画では開業一歩手前で物語が終わっていたが、現実のハムテルは横浜の動物病院での勤務を経て、北海道で開業していたのだ。なんだかとても嬉しかった。
ついでにわかったのは、漆原教授のモデル、橋本信夫さんのことだ。これも北海道新聞に記事があって、コレクションであったアフリカンアートを美術館に寄付した、とある。ひょうきんな人柄が伺える写真では奥さんと一緒に写っていて、ひょっとしたら奥さんの無言の圧力から寄付に至ったのではないだろうかと想像してしまった。橋本さんは既に亡くなっているそうだが、解剖学の立派な先生だったそうだ。近年、北大は内紛で揺れていて、卒業生の暗い前途を嘆いていたという話だ。
2009.7.19

京都駅 2007年
夕方。
今日は外に出てないから、マメと散歩にでも行こうかな。
でも仕事が立て込んでるしな、と思ってカメラを手に取ると
レンズから「行こうよ」という声が聞こえた。
マメを連れて高台の公園へ。
入り口に差し掛かると、雨がぱらぱらと降ってきた。夕立だ。
三角屋根の休憩所で雨が止むのを待っていると
公園にはすっかり人がいなくなってしまった。
小雨になったころを見計らって広場に出たら
見たこともないほど鮮やかな二重の虹が、木々の上にかかっていた。
公園の一番高い丘に駆け上がって虹を見ていたら
近所の子供や親子連れが、虹を見に次々と丘へ登ってきた。
しばらくの間、みんなで一緒に虹を眺めた。
2009.7.21

太陽の輪 稚内 2005年
夜になって久しぶりの大雨だ。明日は皆既日食だというのに残念。
今頃南西諸島の宿に泊まっている人達は、ハラハラしながら寝床についている頃だろうか。南の方だけでも晴れるといいが。
雨といえば4年前、小雨降る中で稚内の親戚のおばあちゃんの家を訪ねたとき、「わたしらには恵みの雨だけど、あんたは困るよねぇ」と言っていたのを思い出す。
おばあちゃんの家では畑をやっていたので、しばらく雨が降っていなかったからほっとしたという話だった。明日の雨も、何の腹の足しにならない皆既日食より、恵みの雨を望んでいる農家の人は多いことだろう。同じ雨でも、悲喜こもごもだ。
2009.7.23

遠野例大祭前夜祭 2005年
ブレブレだが、村人に獅子の神様が降りてきているところ。
岩手県遠野の思い出は楽しい。
草むらで子猫がじゃれあっているのを見つけたり、駅前でかわいい女の子2人がこちらを見てもじもじしていたり(話しかけりゃよかった)。
なかでも最も素晴らしかったことは、流鏑馬で有名な例大祭の前夜祭を地元の人達に混じって見られたことと、その後子供達と触れ合ったことだ。
今思えば、もう2〜3日ゆっくりお祭りを見て行けばよかったのにと思うが、それはその後捨て猫を拾う話にも絡んでくるので一概にそうとも言えない。
また訪れたいものだ。
2009.7.24

ジャングルジム 2000年
新宿でいろいろと用事を済ませるついでに、コニカミノルタギャラリーで写真展を見ていった。3つの写真展を同時に開いていて、そのうちの一つ、モノクロのスナップショットの写真に、なにか惹かれるものがあった。
とくに注目してしまったのは、路上でタクシーの運ちゃんが休憩している写真だったが、なぜその写真に惹かれるのかがわからない。どこにでもありそうな都会のビルを背景に、タクシーの側でおっさんが立っているだけの写真だ。
会場をぐるっとまわってみて気がついたのは、どの写真にも主人公がいること、そして物語があることだった。それは作家が意図してそうしたのかはわからないが、タクシーの運ちゃんの写真を見てみれば、その人と背景から、ほとんど無意識に物語を読み取っていることに気がつく。しっかりした写真だなと感じるのは、そういう基礎があるからなんだろうなと思う。
2009.7.27

喜界島 2006年
野外観察中の子供達を自転車に乗せているところ
2005年からの2年間、日本のいろんなところを見てきた。想像もできなかったいろんな出来事があり、いろんな風景を見て、いろんな人々と出会った。とても楽しい旅だったが、東京に帰ってきてからずっと、なにかやり残したことがあるような気がしていた。
それはたぶん、人との出会いについてのことなのだろうと思っていたが、具体的にどうすべきだったのか、よくわからなかった。その答えが、先日取り寄せた古い雑誌に書いてあった。
「旅をしていつも思うのは、その土地の風景を自分のものにするために、そこで誰かと出会わなければならないということだ。もしそうでなければ、風景は映画のスクリーンをただ眺めているように、決して自分自身と本当の言葉を交わさない。そして旅をすればするほど、世界はただ狭くなってくるだろう。けれども、誰かと出会い、その人間を好きになったとき、風景は初めて広がりと深さをもってくる」SWITCH Vol.15 星野道夫(1997)
2009.7.28

多摩川河川敷 2005年
駅の近くで道路工事をしていた。
よく通る道だが、とくに歩道が傷んでいたのを見た覚えがない。そういうとき、喜界島で働くおじさんが言っていたことを思い出して、ちょっと変な気分になる。喜界島では仕事がないので、雇用を生み出すために特に工事をする必要がない場所でも工事したり、海辺に公園を造ったりしているのだということだった。まぁ、そうしてできた公園でこうやって会えたわけだがね、とおじさんは笑って言っていた。
あの道路工事もそういう類のものなのかもしれない。道路工事だったら、一時ちょっと不便になるだけだから、それでおじさん達が助かるのならかまわないけれども、無闇に開発されて自然が削られていくのは悲しい。同様のことは奄美大島でも行われていて、大きな社会問題になっており、代わりとなる雇用機会をどうやって生み出すかが議論されているそうだ。