新宿で睡眠クリニック、仙川で写真展

2009.10.1

祭りでごった返す花巻 2005年9月

先月の入院検査の結果を聞きに睡眠クリニックへ。検査結果は良好で、1時間あたりの無呼吸の回数はあまり減ってなかったが、問題のあった低呼吸の回数が半減していて、1年以上マスク(CPAP)をつけて寝た甲斐はあったようだ。この程度ならCPAPではなくマウスピースでの治療に切り替えても良いというお墨付きをもらい、歯医者を紹介してもらってマウスピースを作ることになった。でも歯医者さんの予約がなかなかとれないので、あと1ヶ月はCPAPのお世話になることに。

そのあと仙川の東京アートミュージアムという美術館へ楢橋朝子という人の写真展を観に行った。仙川という町も楢橋朝子という人も知らなかったが、美術館が安藤忠雄による設計というのも興味をひかれた。
新宿から久しぶりに京王線の快速に乗って、千歳烏山のとなりの仙川駅で下車。改札を出ると、目の前は小さなロータリーになっている。もっとこぢんまりとした駅を想像していたので、一瞬なにかのイベントをやっていたのだろうかと思ったくらい、駅前には人が多かった。
なぜか派出所でおまわりさんと雑談している女の人を横目に、歩いて5分ほどで東京アートミュージアムに到着。この建物はもちろん、周りの建物もコンクリ打ちっぱなしのモダンなデザインで、仙川はちょっとオシャレな町という印象。美術館の入り口はとても小さく、あやうく通り過ぎかけるところだった。

写真展は…いろいろ残念だった。写真自体あんまりピンとこなかったこともあるけれど、いくら画面が大きくても、コンクリ打ちっぱの壁に留めただけで、しかも端がカールしているプリント(印画紙)では乱暴すぎて、説得力がなさすぎる。やっぱり額装って大事だなと改めて思わされた。また、入り口で作品リストをもらっても、作品自体にキャプションはおろか番号も振られてないので、どれがどれだかわからない。あとこれは作者のせいではないが、美術館のつくりが高所恐怖症もちの人間には厳しく(縦に細長い空間に、細い手すりのついた階段で3つのフロアを繋いでいる構造)、落ち着いて作品を見られない!

まぁ入館料300円だしこんなもんだよな…と思って美術館を後にした。ちょっと安藤忠雄がきらいになった。仙川の駅前をひとまわり写真を撮りながらぶらぶらしてから電車に乗り、本屋で「もやしもん」の1巻と2巻を買って、バスに乗って帰った。本屋のお姉ちゃんがかわいかったし、夕飯の餃子もうまく焼けたので残念なことはチャラにした。

祝、東京オリンピック落選

2009.10.2

築地市場 2004年

都民の血税を注ぎ込んで、東京都内のあらゆる壁面とガンダムの肩に描いたオリンピック招致活動は全て徒労に終わり、2016年度の東京オリンピック招致はみごとに落選した。政権交代にこの失敗が加わって、石原翁の立場もこれでようやく弱体化するだろう。よかったよかった。
これで築地市場も安泰かな。

十五夜

2009.10.3

冬の峠道 2006年12月

夜中に気づいて、窓を開けてみたらとてもきれいな月が浮かんでいた。
一番倍率の高いデジカメで撮ってみたが、うまく撮れなかった。
月なんてしばらく見てなかったな。

銀座ギャラリーめぐり

2009.10.4

銀座ライオンのビアホール 2007年

絵描きの友人の展示(合同展)を見に行くついでに、銀座のギャラリーをめぐってこようと思った。10日経ったからそろそろ埋めた銀杏を掘り返すべし、と携帯に言われたが、それは明日の朝にやることにする。

まず銀座界隈の展示情報をゲットしようと、老舗のカメラ屋である銀一カメラに向かったが、あいにく月島に移転してしまったらしく閉まっていた。せっかく最近見つけたのになぁ。

友人が参加している合同展は、教員として勤めている学校の生徒が始めたもので、もうかなりの回を重ねているらしい。全体的な水準も高く感じた。友人の絵は自分の心情をストレートに画面に吐き出す作風で、つっこみどころが多く面白かった。
久しぶりに同年代の友人に会った勢いで、自分のことばかり喋ってた気がする。いけないな。

思いのほか画廊で話し込んでしまったので、リコーのギャラリーに行ったらとっくに終わっていた。まあいい。

資生堂のギャラリーに向かう途中、信号待ちで立っていると、目の前のお嬢さんふたりが交差点の反対側にビアホールがあることに気がついた。こんなところにあんないい感じのビアホールがあるんだね、と言っていた彼女達に教えてあげたかった。そこは日本最初のビアホール、110年の歴史を持つライオン銀座7丁目店。ビールのプロが最高のビールを注いでくれる、銀座で一番のビアホールなんだよと。

資生堂ギャラリーでは開廊90周年を記念して、女性アーティストの特別展をしていた。それぞれ異なる表現での、11人の11作品が展示されていたが、解説を読んでも正直さっぱりわからなかった。ただ森万里子という人のサンピラーという作品が、透明で真っ白な樹脂製の人ひとり分くらいの大きさの柱で、端の方の透け具合がとても美しかった。会場にあった資料によると、これと発光する球体を宮古島の湾に設置して、日光によって光と影を変化させる壮大な作品の一部らしい。制作意図どうこうよりも、すごい財力だなぁという印象。
併設されていた関連資料の展示で、僕が生まれる前に刊行された「みづゑ」や「アサヒカメラ」を手にとって読めたのは面白かった。表題が手書きの頃の写真は、日本画の延長線上にあるような構図のものが多いが、近代になるとカメラの機動性を生かしたものが増えてくる。いい写真は時代を超えるんだなという思いを新たにした。

教文館まで戻り、マグナムフォトの写真集「マグナム・マグナム」のコンパクト版を購入して帰宅。マグナムフォト所属カメラマンが、計400枚以上にわたってお互いの写真をセレクトし合った写真集。最初の版は旅行かばんサイズで高額だったので欲しくても手が出せなかったが、辞典サイズならなんとか。

ターミナル

2009.10.6

羽田空港 2007年

BSで洋画の「ターミナル」を観た。架空の国クラコージアから来た男が、祖国が内戦状態になってしまったためにビザを取り消され、空港から出られなくなってしまう話。
この映画はたぶん、主人公のモデルになった男の話を聞いたスピルバーグが、これは映画にできんじゃね?と思って作っんだろうな、と思う。だから、「異国人が空港にひとりぼっち」というキャッチーな本筋に、「フライト・アテンダントのヒロイン」、「冷たい空港のボス(悪役)」、「薄給だが友情に厚い仲間達」、「最終的には親切な空港の人々(アメリカって素敵な国!)」というおなじみの要素をくっつけて出来上がった映画という感じが終始出ていて、どうしても素直に感動できなかった。ただ、それを差し引いてもひどい映画だとは思わなかったのは、監督の熟練の技と俳優の力によるのだろう。ラストシーンも悪くなかった。
ヒロインのキャサリン・ゼタ=ジョーンズは役柄はダメ女だけれど、すごくかわいかった(クレジットが出るまで誰だか知らなかった)。彼女が制服で出演していることは、「ターミナル」を観るに値するものにしていると思う。トム・ハンクスはあんなにアメリカ人ぽいのに、この映画ではなぜか東欧人ぽく見えてくるから不思議だ。「フォレスト・ガンプ」同様、ボクトツとしたキャラクターをよく演じていた。インド人のおじさんも良い味を出していた。

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今日は新宿病院巡りの日。耳鼻科でいつも通り鼻を診てもらった後、睡眠クリニックの紹介で女子大の隣の歯科へ。マウスピースを作るためにレントゲンやら歯肉炎のチェックやら歯の型どりやらをしたのだが、なぜ歯科助手のお姉さんは揃いも揃って美人ばかりなのだろうか。部屋の狭さも手伝って、あんなに楽しいレントゲン撮影はかつてなかった。

ギャラリートーク、おでん、台風

2009.10.8

ポタリングの帰り道 2007年

四谷三丁目の「明るい部屋」という写真ギャラリーでギャラリートークというのをやるそうなので、作家の話を聞きに行った。ふだん周りに写真を撮っている人がいないので、写真について話す機会がなく、同じくらいの歳の人がどんなことを考えながら写真を撮っているのか、聞いてみたいと思った。

話は思ったほど難しいアートの方にはいかなくて、聞き役の人の聴き方のうまさも手伝ってか、その人の目線の延長線上としての写真ということがよく伝わった。また、既に何度も写真の個展を開いている人なので、狭い一つの部屋での4面での展示とはいっても、写真の並び方、被写体の有無、動きの緩急についてよく考えて並べてあることや、個展を開くたびに変わっていく部分についての話が興味深く、いつか開いてみたいと思う自分の個展の参考になった。

ギャラリーを出た後、前の会社の上司の人に会い、四谷のおでん屋に連れて行ってもらった。コの字型のテーブルの真ん中に四角いおでんのナベ?がある小さなお店で、カマンベールチーズのような変わったおでんのタネもあったが、どれもとてもおいしかった。久しぶりに会った勢いで話が長引き、ついつい長居してしまったために新宿の喫茶店で夜を明かさざるを得なくなってしまった。猛烈な台風の雨風にさらされる真夜中の新宿の街灯を見ながら、仕事や技術などいろんな話をした。

朝5時の始発電車に乗って家路に就く。風の影響で坂道に大量の銀杏が落ちていて、見上げると大きなイチョウの樹があった。いつも通る道なのに気がつかなかった。
早朝、曇り空の朝日は光がよく回り込むのか、いつもの風景が少し違って見えた。それが残っていた酒のせいなのか、本当に違う風景だったのかは疑問だが、いずれ撮った写真が現像されればわかるだろう。

アメリカ発 いろいろ経由 町田行き

2009.10.11

稚内の交通標示 2005年8月

1ヶ月前にアメリカ製のパソコン用品を海外のネットショップで注文した。
海外のネットショップと直接取引するのは初めてなのでおっかなびっくりだったが、ショップ名で検索してみても悪い話は無いようだし、たまたま発見した時間制限つきクーポンを使うと国内の半額で買えるというのが何より魅力だった。
サイトの説明によると、海外への発送は通常5〜7営業日かかると書いてあった。ところが待てど暮らせど届かない。以前海外の友人がこちらに物を送ってくれたときに2ヶ月くらいかかったことがあったので気を長くして待っていたが、いいかげん英語で問い合わせメールを出さないといけないなめんどくせえ、と思っていた矢先、丁度1ヶ月が経過した今日やっと届いた。
名前からしてアメリカにあると思い込んでいたそのショップは、実際には香港にあったようだ。袋に「香港郵政」と書いてあった。しかし空輸にしてはずいぶん長いことかかったなぁ…と思って再度袋をよく見ると、うっすらとスタンプが押してあるのに気づいた。そこにはこう書いてあった。

MISSENT TO VANCOUVER, B.C. CANADA

ずいぶん長い旅をしてきたようだ。

馬肥ゆる秋

2009.10.13

千葉県市原市 今日

いとこの結婚式に行ってきた。
帰り道に、いとこのおじさんが経営する乗馬クラブへ寄った。
しばらく見ないうちに馬が増えていたり、結婚したいとこの新居が完成していたりと、様々な変化が起きていた。やけに人なつこい馬がやたらとスキンシップを求めてくるので、こんな馬いたかな?と思っていたら、前回訪れたときは生まれたばかりだった子馬の成長した姿だった。母親譲りのいい性格に育っているようだ。
やっぱり馬の目はいいなぁと思う。

10月だというのに

2009.10.16

小樽の丘から見た石狩湾 2005年8月

日差しの強い日だった。
帽子をかぶってマメと散歩。
帰ると水をがぶがぶ飲んでいた。

所沢でBBQ

2009.10.17

小豆島 2006年8月

旅で知り合った肥田野さん主催で、所沢の河原へBBQをしに行った。
早朝に起き、電車を乗り継ぎ所沢へ行き、買い出しをし、セッティング、飲み、撤収と、あわただしくあっという間の一日で、帰りの電車はヘトヘトになって乗ったがとても楽しかった。
それにしても肥田野さんの人脈はすげえなぁと思う。旅がらみだそうだが。

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写真はBBQじゃないけどキャンプをした小豆島。思いのほかカレーが大量にできてしまい、腹がものすごくふくれて苦労した。
翌日温泉で買った小豆島手延べあったかそうめんカップは後々重宝した。

旅行記を更新しました

2009.10.18

稚内 2005年8月

長らくほったらかしにしていた旅行記を復活中です。技術的なテストも兼ねて、Googleマップと連動させています。IEで見てる人は見られないかも。ごめんね。

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「¥3000で写真売りましょ買いましょ展」というのを目黒でやっていたので見に行った。

プロ・アマ問わず様々な写真家が参加する写真の展示即売会のようなもので、今年で2回目。日本にはまだ個人で写真を売買するという文化が根付いてないので、その裾野を広げていきたいというのが狙いだそうだ。1枚3千円程度で写真で食べていくのは到底無理なのだが、近年広告写真が売れなくなってきていて、その活路をアートとしての写真に見出していくため、まずはこの値段で、ということだ。

コンセプトにはとても共感できるし、僕もそうできたらいいなぁと思うのだが、残念ながら全体的に写真の質がまちまちで、正直言ってなんだか学生の写真展ぽいなぁという印象を受けてしまった。マンションの一室に所狭しと並べる展示の仕方や、3千円という値段にもそう思わせる原因があるかもしれない。ちょっと欲しいかも、と思わせる写真は何点かあったのだが、じゃあ3千円で買うか?と考えると、どうしてもためらってしまう。だって写真集が一冊買えてしまうからなあ。

とはいえ、逆に自分の写真をこういった場に出したとしたら、はたして売れるんだろうかと思うと、さっぱり自信がない。でも写真を売るとなると、売れそうな写真を撮る人になってしまいそうでちょっといやだなと思う。

ギャラリーを出ると夕暮れ時で、少し歩きたい気分だったので、目黒通りをひたすら西に向かって歩いて行った。目黒通りにはどういうわけか家具屋がいっぱいで、アンティークからモダンな家具までいろんな家具を置いている店がいっぱいあった。都立大学駅まで歩いて疲れたので、「もやしもん」の6巻を買って読みながら帰った。

研ぎ師

2009.10.20

神谷町 2008年2月

先日ふと家の包丁の切れ味が気になり、砥石を持ち出して適当に包丁を研いでみたところ、なかなか面白い作業だった。道具が文字通り研ぎ澄まされていくというのは、なんだかとても没頭できて楽しい。
今日はちゃんと研いでみようと思い、基本的な研ぎ方を調べてみると、いろいろなことがわかった。

■準備
・包丁の刃を、親指の爪に斜めに指先に向かってそっとあててみて、すべる場合は研ぐ必要がある。引っかかるならまだ研ぐ必要はない。
・もし2ミリ以上の大きな刃こぼれがあるようなら、自分で直すのは難しいので研ぎ屋さんに持って行く。
・家庭用の包丁では、荒研・中研・仕上研の3種類がよく使われるが、中研(1000〜2000番)だけでもOK。ちなみに日本刀は15種類もの砥石を使うらしい。
・砥石は20分ほど水の中に浸してから使う。
・砥石の表面が平らでない場合は、まず面直しをする必要がある。荒さの近い砥石をこすり合わせるか、コンクリートのブロックやレンガにこすって面を平らにする。

■研ぐ
・砥石の下に、濡らした新聞紙かふきんを挟み、砥石が動かないようにする。
・刃を手前に向け、包丁を砥石の対角線上に置き、柄を持った手の親指で刃の根本を、反対の手の人差し指や中指で刃の腹を支え、力を入れずに、包丁を長く軽く前後させて研ぐ。
・刃の先端、中間、根本を各30回くらいずつ研いで、刃をすすぎ、様子を見ながら研ぐ。
・料理包丁は両刃なので、裏側も同様に。
・砥石の全長を使って、砥石が均一に減るように研ぐ。
・研いでいくと表面の水が黒くなっていくが、この粒子が刃を削ってくれる。
・刃がなかなか研げない場合、力が足りないのではなく、砥石の目が細かすぎることがほとんど。

うちの砥石は片面が中研、片面が仕上研の両面タイプで、真ん中が極端に減っていたので面直しにとても時間がかかった。
しかしデコボコだった刃はきれいになり、切れ味も戻ってきた。道具が本来の性能を発揮してくれるのは楽しい。

今日のトピック

2009.10.22

ペダルにトンボ 2005年9月 岩手県一戸

・わりと仕事をした(納期が迫っていたので)
・せっかく買ったイームズの本を間違って捨てていたことに気づいてがっかり
・こないだ携帯とパソコン用に買ったヘッドセットはやっぱり使い物にならなくて超がっかり
・カメラ屋さん曰く、レンズにとって 1、フードだけをつける 2、何もつけない 3、フィルターをつける、の順で画質がいいそうなので、同じカットで検証してみた。現像が楽しみ
・はなちゃんが猫じゃらしを持ち去った
・もらった梅ゼリーの和菓子がまずくて困る
・乳酸菌について調べた

旅をする氷山

2009.10.23

金色の風 2005年11月 木曽路にて

池澤夏樹が中日新聞(僕が読んでいるのは東京新聞)で「氷山の南」という連載小説を書いていて、とても面白い。日本人の男の子が、南極見たさに南極調査船に潜り込むという話。その中で今日は旅をする氷山C-19の話が出てきた。南極大陸の上層部では降り積もった雪が深さ数百メートルに渡って固まり、その一部が海の上に張り出している。それを氷棚と呼ぶのだが、ときどきそれが割れて海へ流れていくんだそうだ。最近では2002年5月にニュージーランドの南、ロス氷棚でこれが発生して、幅32キロ、長さ200キロという途方もない大きさの氷山が海を漂うことになった(調べてみたら本当だった)。あまりに大きいので、周りの生態系すら変えてしまっているらしい。7年前に離岸した氷の固まりは、どこか海の上をまだ漂っているという。遠い遠い南の国で、ペンギンやアザラシを乗せた氷山が、今日もぷかぷか浮かんで旅している。そんな空想みたいな話が本当にあるんだ。

「氷山の南」は10年くらい未来のSFで、主人公が潜り込んだ船の任務は、世界的な水不足を解決するために南極の氷の一部をカーボンナノチューブ製の袋で包み、それをニュージーランドまで曳航するというものだ。今はまだ実感がないが、水不足は本当に世界的な問題になっていくと思う。明日の掲載も楽しみだ。

銀杏炸裂

2009.10.24

名古屋都心環状線 2005年11月

以前拾って土に埋めて結局皮が腐らなくて自分で皮を剥いて干しておいたらマメが一口食べてすぐペッと出したらしい銀杏ですが、干しっぱなしで半ば忘れていたので封筒銀杏を試してみることにした。適当な茶封筒に銀杏数個と塩少々を入れて口を何回か折り、レンジでチンするだけ。銀杏の殻をペンチとかで割るのは大変だが、これなら簡単だ。

ポンとかパンとか小気味よい炸裂音が銀杏を入れた数だけ聞こえたのでレンジを開けてみたら、茶封筒の口が開いて殻が飛び出していた。口の閉め方が甘かったのだろうか。加熱が強すぎたせいか、大きい銀杏は中身そのものが封筒の裏側に炸裂してしまっていたが、おおむねうまくいった。香ばしい銀杏の香りともちもちした食感。苦労して拾って洗って干した甲斐があった。塩は少なめでもよさそうだ。

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散歩中に近所の教会を通りがかったら、秋のバザーをやっていた。教会の前には小さな出店までやっていて、はちまきを巻いたおじさんが一生懸命やきそばを作っていた。とてもにぎやかでいい感じだった。

アドビ仕事しろ

2009.10.26

こんぴらさんの石段 2006年8月 香川県

予算が下りたのでFlash制作の仕事をした。
絵コンテは寝ながら頭の中に描いておいたので、つっかえることなく進んだが
けっこう時間をかけてしまった。
でもまぁ、そこそこうまくできたからいいか。

Flashはバージョンがいくら上がってもちっとも安定しない。
いまだに落ちたり、細かいバグがたくさん残っているし
機能追加で重くなっているのに、それらを修正するパッチも出さない。
使っているとストレスばかりが溜まっていく。
制作ツールのアドビ一社独裁体制の弊害なのだろうが
残念ながら今後しばらくはこの体制が変わることはないだろう。

Flashのプログラミング言語を身につければ
お金になるのはわかっているのだけれど
道具の出来がひどすぎてなかなか勉強する気になれないでいる。

ハードとソフトの未来

2009.10.28

六本木ヒルズからの夜景 2004年2月

今日のクローズアップ現代で、自動車産業の電子化について特集していた。自動車部品の電子化が進む中で、需要を失った自動車部品の下請けメーカーが、その技術を自動車以外の分野に生かすことで活路を見出そうとしているという話だ。軽量で頑丈だが加工が難しい炭素繊維製の素材を、楽器作りに応用しようとしているメーカーなどがあるそうだ。

ハードウェア屋さんは大変だ。技術は常に進歩し、あることを実現するためのコストはどんどん下がっていく。今日最先端の工場を造っても、明日には価値が下がってしまう。そんな中で利益を出すには、価値がなくなってしまう前に工場を造り直すか、価値の落ちないもの(ずっと使えるものや、オリジナルのアイデアなど)を作り続ける他ないだろう。でもそんなものは滅多にない。

翻って我々ソフトウェア屋のことを考えると、大体同じ条件が当てはまる。それどころかソフトウェアの進歩はハードより遙かに急激だ。こないだまで何万円もしていたソフトを、今やグーグルがタダで提供していたりする。同じ技術でお金を取れるのは、長くてもほんの数年間の間だけだ。

となると、すべきことも同じだ。工場を造り直す、つまり新しい技術を身につけるか、価値の落ちないもの、つまり自分だけが作れるものを作るか、ということになる。

幸いにして、ソフトウェア屋には自動車工場ほどの大きな設備は必要ないから、物理的な損失はとても小さい。せいぜい仕事用のパソコンやソフトを買い換えたりするくらいだろう。問題は技術で、今利益を得るのに使っている技術は、過去身につけたものであること。そして今使っている技術はどんどん古くなっていくということ。つまり、将来利益を得るためには、先回りして技術を身につけておかなければならないということだ。

時代は進化する。個人も進化していかなければ。

成功の反対側

2009.10.31

夕日の魚 2004年 町田市

“成功の対極は失敗ではなく、行動しないこと。”

田中杏子


ラジオを聞きながら仕事をしていたら、ファッションディレクターで雑誌Numeroの編集長の田中杏子(たなかあこ)という人が出ていて、こんなことを言っていた。
失敗はあくまで成功への段階のひとつに過ぎないということだ。
いろんな経験をしている人は、そんな話をしていなくても人生で学んだ真理がぽろりと出てきてしまうんだろうなぁと思う。海外での仕事で、喧嘩してしまったカメラマンとモデルを仲裁した話も面白かった。