2010.4.1
母の友達からの情報で、多摩市は唐木田の中沢接骨院というところで薬や注射を使わない花粉症の治療をしており、それがとてもよく効くらしい、というので行ってきた。
電車の中でくしゃみが出ると、そのたびに座っていた小さな女の子が「おぉ」と言ってびっくりしていた。そんなに大きなくしゃみだっただろうか。
接骨院は小さかったが、雰囲気は良かった。患者のおじさんおばさんは皆顔見知りのようだ。昨日のゴルフ大会で院長先生が優勝したのが今日のトピックであるようだった。壁には少年野球にプロ野球選手を招いたときの写真や、件の花粉症治療に関する記事など、いろんな情報が所狭しと貼ってあり、院長先生の人柄を思わせた。受付のお姉さんはきれいで明るかった。
先生によると、花粉症の原因は眉間の副鼻腔の炎症にあるので、ここに電気的刺激を与えたり冷やすことで症状が改善するという。ベッドに寝かされ、眉間に小さな電極を当てて、こめかみを冷やされて30分。これを6回〜8回くらい行うことで、症状が徐々に良くなるそうだ。ただし保険が効かないので、1回につき2千円。症状をどの程度まで緩和させるかは個人の裁量となっている。これで十分と感じたらそこで止めればいいわけだ。
ちなみに、副鼻腔が炎症を起こしているかどうかは、O(オー)リングテストというもので判定された。どういうものかというと、まず片手の親指と人差し指(あるいは中指)で力を込めて輪っかを作る。そして反対側の手の指の一本を、患部に触れる。患部に触れてないときは当然、輪っかを他人が開くのは難しいが、反対側の手が患部に触れていると簡単に開かれてしまう。不思議。科学的な根拠は0だそうだが。
ベッドから起きると、詰まりっぱなしだった鼻が少し通るようになっていた。先生によると僕は「今期で一番重症」の患者らしいので、劇的改善とはならないようだ。しばらく通ってみることにする。
2010.4.2
ふたたび唐木田へ。今日は花粉が少ないのか、それとも昨日の治療が効いたのか、昨日ほどは鼻水が出てない。今月の予定をあれこれ考えながら30分過ごすと、かなり鼻の通りが良くなった。こめかみから眉間にかけてよく冷やされたせいもあるのかなと思ったが、数時間経った今でも鼻水がほとんど出ず、鼻呼吸も苦しくない。たしかに効果があるようだ。次は月曜日に行く。
たまっていたネガをまとめて現像に出したが、あまりいい写真が撮れてなかった。以前ほどは良い風景というものを熱心に探してない気がする。写真を撮る頻度が下がって、これという場面にも出会わなかったのも原因のひとつだけど、要は僕の写真にかける情熱はその程度なのだ。
仕事もおおむね片付いたし、部屋もすっかり片付いたので、これでやっと帳簿付けに入れる。
2010.4.3
写真好きの友人に誘われて、カメラマンの集うお花見に参加させてもらった。
曇りがちで少し風が冷たかったが、善福寺川のほとりは花見の人らでごった返していた。それは見るも幸せな光景で、みんながニコニコしながら桜の下を歩いていて、橋の上からはいろんなカメラが川面に向けられていた。ときおり晴れ間から光が差して、隣の女の子が桜吹雪に混じってしゃぼん玉を漂わせると、風景の幸福度は一層際立った。
プロのカメラマンに自分の写真を見てもらう良い機会だと思い、昨日の夜、自分の気に入った写真を集めて、1冊の小さなアルバムを作ってきた。幹事の新藤さんに見せると、アルバムの構成、自分の写真の見つけ方、旅の写真を掘り下げることなど、貴重なアドバイスをたくさんもらうことができた。
皆で駅へ戻る途中、商店街で出会ったグレート・ピレニーズに触れられたことも今日の収穫の一つ。真っ白で、巨大で、何人もの大人に囲まれながらも、目は穏やかで、ふかふかだった。帰るとマメが興味深げに袖のにおいを嗅いでいた。
2010.4.4
帳簿をつけるためにやよいの青色申告10を起動し、初期設定作業に取りかかったが、導入用のムービーを見ているだけで本当に寝そうになった。その後も初期設定をなんとか終えたものの、何から手をつければいいのかさっぱりわからず途方に暮れる。前途多難。
2010.4.5
町田の睡眠クリニックと唐木田の接骨院へ。家を出る直前にこないだ作ったサイトのバグが発覚し、対応に追われる。重大なバグではなくてよかった。
無呼吸の治療の経過は順調で、CPAPもうまく使えていると先生のお墨付きをいただく。BMI値が25以上の人は心筋梗塞や心不全などを発症するリスクが高く、その上に無呼吸症候群となるとさらにリスクが高まるのだそうだ。僕のBMI値は幸いにして標準以下なので、これを維持するよう言われた。
町田のハンズでMacBookProのハードディスク交換のためのドライバーと、カリグラフィ用のペンを買った。糖分が切れてきたので、スタバで買ったココアを飲みながら唐木田の接骨院へ向かった。雨が上がって、街灯がかすんで見えた。
無理して一度に二つの病院に行ったので疲れて頭が痛くなった。今日こそは早く寝よう。
2010.4.6
起きたら目やにまみれだった。変な夢をたくさん見た気がする。
新しいテレビが届いたので、組み立てて寝室に設置した。チャンネルを確認をしていると、たまたまNHKで海外のドキュメンタリーをやっていて、思わず見入ってしまった。
NHKの世界遺産への招待状という番組で、モロッコのマラケシュという市街地で生きる人々を追った映像。険しく長大な山脈を背景に茶色く角張った建物が並ぶ、どこか寂しい絵のような風景もさることながら、そこに生きる人々の表情がとても印象的だった。厳しい環境にもかかわらず、慈愛に満ちたとてもおだやかでやわらかい目をしていて、その人の生きてきた時間の豊かさを想像させられた。いつか見た、アフガニスタンの女性の瞳を思い出す。砂漠に生きる人々は、皆ああいう目をしているのかもしれない。何もない砂漠が、人間性を深めるのだろうか。
ウェブで発見した旧型の引き延ばし機に心を奪われつつ、こまごまとした仕事を片付けた。
2010.4.7
つくづく思うのは、あることを良い習慣として身につけようと思って毎日続けようとしてみても、それが本来自分にとってつまらないことだと長くは続かないということだ。でも自分が好きなことなら、その習慣自体を楽しみにすることができるし、続けることができる。良い習慣を身につけるなら、そのことを楽しむことが近道になるのだろうな、と思う。
さしあたってNHK英会話を楽しめるようになりたい。
2010.4.8
・野口聡一さんのtwitpicポスト
国際宇宙ステーションに滞在中の野口さんが、地上350キロメートルの高さから毎日様々な写真を届けてくれている。今日はISSに到着した山崎さんから、新鮮でおいしくて丸いものを受け取ったようだ。一枚一枚まるで別世界の地球の姿に驚くばかり。
・間寛平 アースマラソン
日本を発ってから踏破した距離はすでに3万2千キロ。イラクの砂漠を黙々と走る姿は、とても吉本新喜劇の舞台で「かいーの」とか言っていたとは思えないかっこよさだ。しかしひとたび現地の人達に囲まれれば、持ち前の明るさで軽々と言葉の壁を乗り越え、その場を笑いで満たしてしまう。寛平氏の人柄の深さに敬服。
2010.4.9
起きてマメの散歩へ。桜がだいぶ散ってきた。近所を一周して下の公園の大きな桜まで観に行こうと思ったが、途中でウォーキング中のおばさん軍団に駅への道を尋ねられ、びびったマメに引かれて家へ戻る。おばさん達は無事に駅まで辿り着けただろうか。
母に代わって夜もマメの散歩に出た。まだ空気が冷たい。鼻呼吸に慣れたいが、鼻で空気を吸うと鼻の奥の方が痛い。右の鼻は詰まりっぱなしだし、やっぱり鼻中隔の歪みをどうにかしないとダメなんだろうか。手術は嫌だなぁ。来週どんな提案をデザイン事務所さんにすべきか考えながら歩いた。まずは調査から始めることにしよう。
2010.4.10
夕方、友人が晩飯でも食おうというので、最近思い出して食べたくなっていた京王永山駅近くの「一番」という広島風お好み焼き屋に行くことにした。集合時間が早かったので、腹ごなしにボウリング。1年ぶりくらいだろうか。3ゲームやってストライク3回。まぁまぁのスコア。
出る前に「一番」をネットで調べたら、最近の口コミで味が落ちたとの記事があったのでちょっと不安だったが、実際に食べてみたらいつもとかわらずおいしかった。ここの店員さんは皆明るくて気持ちがいい。やっぱり何事も自分の目で確かめないといけないな。
2010.4.11
期日の迫る仕事に対して計画性をもって望まなければ、いずれそのツケを払わなければならなくなるのは会社員だろうがフリーランスだろうが変わらない。フリーのいいところは残業しても終電の心配をしなくてすむところだろうか。
サイトの設計と見積もりをだらだらと進めてしまったせいで、今日はこれが終わるまで眠れない。日記を書くのも忘れる。やることリストを手書きにしたり、仕事の進捗をカレンダーソフトにつけたりは続けているが、スケジュール管理がまだ弱いようだ。もうちょっと計画的に仕事を進めるようにするには、どうすべきかな。
2010.4.12
花粉症治療のため唐木田の接骨院へ。今回で5回目になるだろうか。治療の効果か、あるいは雨のせいか微妙なところだが、今日は鼻の調子が良い。接骨院のウェブサイトが古めかしくいまいちな感じだったので、帰り際に院長先生にウェブサイト更新の話をもちかけてみた。壁の張り紙などでうすうす気づいてはいたが、なんでもデザイン事務所さんと付き合いがあるとかで、そこへ頼んではいるのだが延ばし延ばしになっているようだった。たぶん地元の付き合いがあるので、こういう場合に横から入るのは難しいのだろう。とりあえず名刺を渡すだけに終わった。
引っ込み思案な自分としてはよくやった方だと思う。またこういう機会があったら、同じように話をしてみることにしよう。
帰ってから久しぶりにカレーを作った。カレールーを使わず、スパイスだけで作るやつ。こないだ買ったマスタードシードを一度焦がしてしまったが、最後の味の調整を慎重にしたせいか、とてもよくできた。やっぱり牛乳よりココナツミルクを使った方が濃厚でおいしい。ターメリックライスはターメリックを入れすぎて真っ黄色になってしまったが。
NHK教育ラジオから聞こえてくる、アナウンサーのおじさんのリズミカルでいつまでも終わらない天気予報の声が眠気を誘う。明日はお出かけだ。早めに寝よう。
2010.4.13
友人と上野公園の花見がてら、上野の国立科学博物館の「大哺乳類展」を観に行った。正直なところ、展示内容についてはあんまり期待はしていなかったのだが、とても見応えのある内容で、予想を良い意味で裏切られた。解説文はちょっと難しくてわかりにくい部分もあったが、今にも動き出しそうな剥製の動物の展示がたくさんあり、骨格標本もたいへん迫力があった。特にオオカミの剥製なんかは、(シートン動物記の記述の影響もあって)気高い精神性すら感じられる雰囲気を漂わせていた。
期待していた星野道夫の遺品展示は、思ってたより少なくやや残念。それでも読んだことのあるエッセイの原稿や、直筆の日記の一部が読めたのは嬉しかった。エッセイではあまり読めないカメラ機材についての感想などが書かれていた(ただし現在は売ってないフィルムなどについてのものだったが)。
展示の後半はシートン動物記を軸にした動物の生態紹介になっていて、シートン先生のどこまでも深い観察力に恐れ入るばかり。今読んでいる「ニルスのふしぎな旅(下)」の次に読む本が決定。
博物館を出た後は銀座をぶらぶらして、うどんを食べて帰った。とても充実した一日だった。
2010.4.14
自転車のことでわからないことがあったので、よく自転車に乗っているはずの大学時代の友人に、久しぶりに声を聞くついでに電話をかけた。彼とは2年前に一緒に富士山に登って以来会ってないが、その後色々あって今はかなり大きな人生の転換期に差し掛かっているようだ。そうでなくてもこの年代は様々な選択を迫られるというのに、所帯を持っていればなおさらなのだろう。彼らしい、自分に合った道を選んでくれるといいなと思った。
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しばらくやりとりしていた新規の案件があったが、結局予算の折り合いがつかず切られてしまった。見積もりは難しい。実際の作業工数や難易度の他に、将来の価格設定や、クライアントとの今後の関係など、とても多くの要素が絡んでくるので、簡単には決められない。数をこなして、自分なりの設定の仕方を模索するしかなさそうだ。
2010.4.15
下の公園の大きな桜も花が散って、初夏の装いをはじめていた。地上に咲く花はまだ勢いがある。教会の前の道ではチューリップが何輪か咲いていた。かわいそうに一本折れていたが、おそらくマメのような犬が無造作に道の脇を歩いた拍子にぽっきりいったものだと思われる。
雨が降ってとても寒い。明日は雪が降るところもあるそうだ。
2010.4.16
録画しておいた、NHKの「世界ふれあい街歩き パリ・オペラ座界わい」を観た。
ルーブル美術館の近くにはパサージュという小さな商店街がいくつもあって、それぞれが2世紀もの歴史を持っているという。パリの街並みはどこを向いても古ぼけているけど美しくて、映像からそこにお店を持っている人や住んでいる人達が誇りを持って暮らしているのをひしひしと感じた。
地下鉄や街角に見られる何気ない標識やポスターでさえ、慎重で、調和のとれたデザインが施されている。人の美意識は、その人を取り囲むものに大きな影響を受けるという思いを新たにした。良いものを作るためには、良い場所が必要だ。
パサージュには階上がマンションになっているところもあり、ガラスの天窓の上を猫が歩いている様子は夢みたいだった。
いつかパサージュに住むことに決めた。そのためにはまず、収入を確保して、フランス語を覚えなきゃね。
2010.4.17
以前から取りかかろうと思いつつほったらかしにしていたiPhoneアプリ開発だったが、あるきっかけにより本腰を入れて取りかかることになった。
iPhoneアプリを開発するためにはXcodeという開発環境のインストールが必要で、このソフトはMac OSX 10.5(Leopard)でも使用できるのだが、今後のバージョンアップは10.6(Snow Leopard)を中心になされるようなので、良い機会だと思いハードディスクを交換するついでにOSをバージョンアップすることにした。モデルは初代ユニボディMacBook Pro 15inch(MB470J/A)。
まず外付けのハードディスクを繋げて、Time Machineでバックアップをとる。しばらくバックアップを取り忘れていたので差分ファイルが溜まっていて、30GB分のバックアップをとるのに1時間ほどかかった。
次に、電源を切って、精密プラスドライバーとT6トルクスドライバーを使って内蔵ハードディスクを外す。プラスのネジは上側の一カ所を外すだけ。トルクスドライバーで外すネジは元のハードディスクについている4本で、全て新しいハードディスクに付け替える。念のため、この時点で用意しておいた2.5インチ用のハードディスクケースに元のハードディスクを入れ、USBで繋いで(Express CardでのeSATA接続を試したが、起動時は認識されなかった)、外付けのドライブから起動できることを確認。ちょっと遅いが、緊急避難環境としては申し分ない。
新しいハードディスクをMacBook Proに収めて、Snow LeopardのDVDディスクを入れ、Cキーを押しながら起動。DVDから起動されるので、まずインストーラーではなくディスクユーティリティーを使って新しいハードディスクをフォーマットする。これはものの数秒で完了。インストーラーに戻り、インストール作業を続ける。途中で「すでにMacをお持ちですか?」と聞かれるので、Time Machineバックアップからの移行を選択し、バックアップに使用したハードディスクを接続。移行する項目を選んで、実行。僕はアプリケーションを含む全ての項目を移行させることにした。旧環境は残してあるのだから、問題が出たらやり直せばいいだけだ。この移行作業は1時間以上かかるようだったので、Macに任せて出かけた。
飲み会から帰ってくると移行完了していたので、ネットワークやユーザー登録情報の入力を適当に入力し、インストール完了!ATOKが機能しなくなったがバージョンアップで解決。SixtyFourSwitcherで64ビット化して再起動。特に動かないアプリも無いようだ。よしよし。
2010.4.18
Mac OSXのTime Machineバックアップデータを利用したSnow Leopardへの移行は終わったが、Time MachineでバックアップされるのはOSXの入っているパーティションだけなので、Boot Campのパーティションも引っ越してこなければならない。
まず、元のハードディスクを接続し、Wincloneというソフトを使ってBoot Campパーティションのイメージファイルを作成する。これはOSXのディスクイメージ(.dmg)ファイルのようなもので、後でWincloneを使って仮想ドライブとしてマウントすることもできる。どこに作ってもよさそうだが、とりあえずユーザーディレクトリの中に保存。元のBoot CampパーティションはNTFSフォーマットの32GB。小一時間かかる。
次に、イメージの復元先を作る。OSXのBoot Camp アシスタントで、好みのサイズのBoot Campパーティションを作成。今回は101GBに設定した(100GBぴったりにはできなかった)。システムを入れずにパーティションのみ作成して、Boot Camp アシスタントは終了。Wincloneに戻り、「Restore」タブに移動、作成したwindowsパーティションのイメージを選択し、Destinationに今作成したBoot Camp用パーティションを選択。Restoreボタンを押して復元開始。これも小一時間かかる。
復元完了した時点で、パーティションの容量がイメージを作成した時点での容量(32GB)に縮小してしまうので、WincloneのメニューのToolsから「Expand Windows(NTFS) Filesystem」を選択。これでパーティションの拡張が完了し、容量が101GBになる。
また、ドライブの設定が変わってしまったため、ParallelsからBoot Campを起動できなくなるので、一旦仮想マシンの設定を全て削除。仮想マシンの新規追加でBoot Campパーティションを選択しようとしたが、選択できない状態になっている。一度再起動してBoot Campパーティションから起動できることを確認し、もう一度OSXで再起動してParallelsを起動すると、Boot Campパーティションを選択できるようになっていた。再設定してParallelsから起動できることを確認。これでWindows環境も移行完了だ。
2010.4.19
デジカメのバッテリーのキャップがどこかへ旅立ってしまった。はなちゃんが持って行ったのではないかと疑っている。
ようやく春らしくなってきた。ウグイスも鳴いている。いくら桜が咲いても、やっぱり暖かくならないと春という感じがしない。山道を北の公園までマメを連れて歩いた。挨拶を返してくれたのは背の高い外人さんだけだった。草で向こう側が何も見えなかった道は、すっかり除草されてずっと遠くまで見渡せるようになっていた。池にはまだ鴨が泳いでいて、池の縁に近づくと物欲しそうに近寄ってきた。くちばしの黄色が鮮やかだった。
あ、キャップが椅子の上に落ちてた。
2010.4.20
母がニュージーランドへ旅行に行ったので、僕と妹とマメの3人分の夕飯を作った。あさりとキャベツのスープと、牛肉とじゃがいもの甘辛炒め。二人とも何も言わず食べていたが、なかなかうまくできたのではないかと思う。時間かかったけど。明日は何にしようかな。
今月ひと月くらいは続けようと思い、NHKラジオ英会話のテキスト(380円)を買って取り組んでいる。後半に入ってから急に難しくなってしまい、問題文がさっぱり聞き取れなくて心が折れそう。
明日は晴れそうなので、貯まっている用事を済ませるために出かけることにする。
2010.4.21
神谷町の雑貨屋さん 2008.7
FUJIFILM NEOPAN 400 PRESTO
以前試しに使ってみた北海道の写真屋さんのフィルムスキャンサービスが安くていい感じ(1枚600万画素、フィルム1本あたり500円)だったので、追加でスキャンしてもらった。そのデータとフィルムが帰ってきたので、今日からまたしばらくフィルムの写真を載せていきたい。
写真で画質を追求するなら、もはやデジタルカメラの方が優位にあるようだ。フィルムを使うんだったら、モノクロで撮るのがいいんじゃないかと最近は思い始めている。
モノクロフィルムを使う時は、カラーフィルムを使う時とは別の写真の撮り方が必要だ。カラーでは色の配置や彩度に気を遣う必要があるが、モノクロではその必要がない。その代わり、コントラストの強さや構図がとても重要になる。色はどうでもいいけど、光をどう取り入れるかが大切なわけだ。いかに被写体を表現するかという点では、写真としてモノクロはカラーよりずっと純粋なんじゃないだろうか。
2010.4.22
日比谷 2008.7
FUJIFILM NEOPAN 400 PRESTO
お昼は昨日の残り物、夜は父の作っておいてくれたカレーを温めて、マメのごはんだけ作って一緒に食べた。雨だろうが何だろうがマメの散歩好きは止まらない。雨合羽のフードを頭にかぶってしまい前後不覚に陥っているマメを見るのは面白い。
南の公園の池では、昨日は合唱していたはずのカエルが今日は静かだった。みんなサギに食べられてしまったのだろうか。
2010.4.23
夏の紅葉 2008.7
FUJIFILM NEOPAN 400 PRESTO
池のカエルはやっぱり生きていた。今日もゲコゲコやっていた。
寒くて冷たい雨がしとしと降っている。明日の山登りに備えて、スーパーへおにぎりの具を買いに行った。空気は寒くても、公園の桜の葉はすっかり夏の装いだ。植え込みに咲いていた朱色のひなげしの花はしょんぼりとうなだれている。玄関のパンジーはまだ元気だ。明日は晴れると良いなあ。
2010.4.24
新横浜駅にて 2008.7
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友人二人と連れだって高尾山へ。昨日、一昨日と雨が降り続いて心配していたが、今日はとてもいい登山日和となった。
久しぶりの好天で週末とあって登山客はとても多く、にぎやかな登山道をゆっくり登る。新緑が鮮やかで、山の冷たい空気がそろそろと流れていた。用意しておいたお弁当を山頂で食べ、日が傾いてくる中をまたゆっくり下った。西日に照らされた木々がとても美しかった。
帰り際に高尾の温泉に寄って、八王子でのんびり夕食を食べて分かれた。帰宅すると思っていたより疲れていたことに気づいて、倒れるように寝てしまった。充実した一日だった。
2010.4.25
ショベルカーの寝床 2008.7
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昨日の疲れを癒すために今日は一日中のんびりしようと思っていたが、おじいちゃんの誕生会で親戚一同が集まることをすっかり忘れていた。車に乗って千葉の市原へ。
相変わらず賑やかな親戚に囲まれながら、従兄弟の新居で楽しく飲んだ。従兄弟の子供がみるみる大きくなっていたのに驚いた。おじいちゃんはもうかなりの歳だが、痴呆が進んでないのは乗馬クラブという場所柄いろんな人に会うからだと思う。
帰り際、灯りのない屋外で、荷物を取りに戻ろうと暗い道を歩いていくと、顔の見えない親戚と何度もすれ違った。すると不思議な感じがして、何人もの魂だけが通り過ぎたような、人生の時間を縮めた映像が見えた気がした。帰りの車の中で、走馬燈というのはああいう感じなのだろうと思った。
2010.4.27
裏庭のステージ 2008.7
FUJIFILM NEOPAN 400 PRESTO
たまたま屋外でやっていたとあるライブを聴いて、生の音楽に触れたくなったので、2ヶ月前にチケットを買った。今日はそのコンサートに行ってきた。
相変わらず矢野さんの発散するエネルギーはものすごい。ステージに立っているだけでキラキラしたものが溢れ出ているような気がする。そしてひとたびピアノに触れれば、矢野さん自身が音楽となる。
僕は音楽にそれほど詳しくないけれど、こういうことができる音楽家はごく一部の人だけなのだろうなと思う。つまり、研ぎ澄まされた技術をもって、心の一番深いところから、透明で素直な音を導き出せる人。ある映像で、彼女は演奏中に二度、観客と交感すると言っていた。一度は演奏中に、自分の曲を受け取ってくれているということを、もう一度は演奏が終わって、拍手を浴びているときに感じるのだという。そういうことができるのも、魂に触れる曲をつくっているからなのだろう。
52年間もピアノを弾き続けてやっと気づいたことは、高いピアノがいいピアノとは限らないということだという矢野さん。何年も放置されていたピアノでも、弾いてみるとだんだん良い反応をするようになってくるピアノもあるのだという。そんなふうに道具と対話できるのは、とてもうらやましいと思った。僕が写真を極めていけば、カメラとそんなふうに話せるようになるだろうか。今はただ振り回されるばかりだが。
2010.4.28
静かなサッカー場 2008.7
FUJIFILM NEOPAN 400 PRESTO
昨日のコンサートで驚いたことの一つは、販売されていたブックレットの中で、矢野さん自身が「音楽とは何か」という問いに対して「慰めになるだけ。ただそれだけだよ」と語っていたことだった。音楽には人生を変えたりするほどの大きな力を持っていると思っている人達がいるが、矢野さんは「いや、それはないべ」と考えているのだという。だから、そこに達成感を見出していないのだとも。
これはちょっと、衝撃的だった。あれほど一芸に秀でた人が、自分の持っている力を見誤るとは思えない。だからきっと、それは確かなことなのだろう。だとすると、僕は今までとても大きな思い違いをしていた気がする。きっとそれは、何でも大げさに考えてしまいがちな性格に起因することだと思う。
矢野さんが歌っていたとおり、結局人ひとりができることは、その人の手の届く範囲の中にしかないのだ。だから自分ひとりが行う何かで、人の人生を変えるだとか、世界を変えるだとか、そんなことはできないし、しようと思わなくていいんだ。
2010.4.29
芝公園 2008.8
FUJIFILM NEOPAN 400 PRESTO
・マメと南の方までちょっと長い散歩をした。神社の境内の斜面が、紫や青や黄色の野の花でいっぱいだった。きっとどこかの山の奥の、だれにも見られずに咲いて散る花も、同じように、いまこんなふうに咲いているのだろうなと思った。
・母のニュージーランドみやげの苺のドライフルーツをばくばく食べた。
・スキャンに出して戻すのが大変だったネガフィルムをやっと全部片付けた。毎日部屋をちらかしては片付けている。
・自分のサイトのデザインを考えては没にしての繰り返し。いつまで経っても決まらずに4月も終わる。
・なんとなく駅のプリントショップに出す気にならなくてほったらかしていたら、未現像のフィルムが6本も溜まってしまった。髪を切るついでに現像に出しに行こう。
2010.4.30
天使は帰宅中 2008.8
FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400
僕の高校はどういうわけか同窓会に熱心で、1年おきに会報や同窓会への招待状が届く。今時は高校でもデータプロジェクターを使って授業をしたりしているようだ。会報の他に「住所不明の人リスト」が入っていて、知ってる人は連絡くださいと書いてあった。リストの中には、当時付き合っていた彼女や、親しかった友人の名前をたくさん見つけることができ、とても懐かしい気持ちにさせられた。
同窓会の出席者は自分が卒業した年のOBとは限らないようなので今まで出ないでいたが、これからも出る必要はないことがよくわかった。僕が会いたいのは、リストの中の人達だけだったから。同窓会も連絡先がわからないとなると、もう会うこともないのだろうな。