ツイッター雑感
2010.7.26

マンションのとなりの樹 今日
ここ何年か、いろんな場所で話題になるツイッター。有名人はもちろん、口コミの効果を狙ってかテレビやラジオでもよく使われるようになった。天の邪鬼な性格なので、有名なものほど使いたくない僕は距離を置いていたのだが、いつもラジオを聞いている伊集院光氏が使い始めたことを知り、どんなことをつぶやいているのか気になって試しに使ってみることにした。
使い方としては、自分のアカウントを取り、ツイッターの自分のページで140字以内の何事かを「つぶやく」か、気に入った誰かを「フォロー」し、自分のホーム画面に現れるフォローした人達のつぶやき一覧を見て、誰かのつぶやきに対して返事のつぶやきを返す、というだけで、とてもシンプルだ。フォローはクリック一つでできるので、ちょっとでも気になる人を見つけたら気軽にフォローできる。フォローしている人が少ないうちはつぶやき一覧の流れも緩やかだが、フォローが増えてくると、とても全てに目が通せない程更新されるようになるので、ある程度流し読みしたり、読まなかったりする必要が出てくる。
面白かったり、感心するようなつぶやきを読めることもあるのだが、当然ながら誰もが毎度そんなつぶやきを書いているわけではないので、必然的につぶやき一覧は様々な人の雑然としたつぶやきだらけになっていく。このこと自体が面白いと感じる人もいるだろう。しかし僕にはそう感じられなかった。こちらがフォローしたとはいえ、人々のつぶやきを積極的に読んでいこうという気にはなれない。ツイッターは本質的にゴシップなのだ。生来、赤の他人が何を考えているかなんてどうでもいいというタチなので、これはツイッター自体が合わなかったということだ。
ツイッターが新しいメディアだと言う人もいる。僕も使い始めたときに、「やよいの青色申告」のことを書いたらすぐにやよいの社長から返事があって驚いた。有名人との距離が近く感じるのはツイッターの利点だと思う。一方で、元々ある程度影響力を持っている人が、その影響力を行使する場にしかなっていないようにも思えた。また、手軽であるがゆえに、コンテンツの内容が薄いという本質的な問題もある。いずれにしろ、人を選ぶサービスであることは確かだ。
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使い方としては、自分のアカウントを取り、ツイッターの自分のページで140字以内の何事かを「つぶやく」か、気に入った誰かを「フォロー」し、自分のホーム画面に現れるフォローした人達のつぶやき一覧を見て、誰かのつぶやきに対して返事のつぶやきを返す、というだけで、とてもシンプルだ。フォローはクリック一つでできるので、ちょっとでも気になる人を見つけたら気軽にフォローできる。フォローしている人が少ないうちはつぶやき一覧の流れも緩やかだが、フォローが増えてくると、とても全てに目が通せない程更新されるようになるので、ある程度流し読みしたり、読まなかったりする必要が出てくる。
面白かったり、感心するようなつぶやきを読めることもあるのだが、当然ながら誰もが毎度そんなつぶやきを書いているわけではないので、必然的につぶやき一覧は様々な人の雑然としたつぶやきだらけになっていく。このこと自体が面白いと感じる人もいるだろう。しかし僕にはそう感じられなかった。こちらがフォローしたとはいえ、人々のつぶやきを積極的に読んでいこうという気にはなれない。ツイッターは本質的にゴシップなのだ。生来、赤の他人が何を考えているかなんてどうでもいいというタチなので、これはツイッター自体が合わなかったということだ。
ツイッターが新しいメディアだと言う人もいる。僕も使い始めたときに、「やよいの青色申告」のことを書いたらすぐにやよいの社長から返事があって驚いた。有名人との距離が近く感じるのはツイッターの利点だと思う。一方で、元々ある程度影響力を持っている人が、その影響力を行使する場にしかなっていないようにも思えた。また、手軽であるがゆえに、コンテンツの内容が薄いという本質的な問題もある。いずれにしろ、人を選ぶサービスであることは確かだ。