才能と人格

2011.3.2

空の青 2010.9

世の中には三つのタイプの人間がいる。物事が起きるのをじっと待つ人と、起きた結果に一喜一憂するだけの人。そして、物事を自分で切り開こうとする人。私は三番目でいたい。そうすれば必ず幸運をつかめると信じているんです。

ニューヨークの最貧困地区に住む男性



夕刊の海外リポートでこのような貧しくても誇り高く生きる人が紹介される一方、二面では高名なファッションデザイナーが差別発言で解雇されたことが取り上げられていて、とても対照的だった。つくづく、人の才能と人格の間には関係がないのだなと思わされる。

商売の才能があるとか、スポーツの能力が秀でているということは、それはそれでとても素晴らしいことだ。でも、勘違いしやすいのだが、その人の才能の高さと、その人自身が人格者かどうかは全く関係がない。どんなに素晴らしい能力を備えていても、人格が伴わなければ尊敬には値しない。このごろは、大きな事業を成し遂げた人が、あたかも人格者として持ち上げられることが多いようだ。気をつけなければいけないと思う。

2011年3月11日

2011.3.13

オリオンと月 2011.3.11

よく晴れた昼下がり。自宅の自室で来週の確定申告期限を前に、はじめての青色申告のため、雀の涙の程の初年度の利益にため息をつきながら机の前で書類と格闘していた。背後では犬のマメが布団の上で寝息を立てている。

カタカタと戸棚が揺れ始め、また地震か…と思った。今回は長いなあ、とのんびり構えていたが、これはちょっといつもと違うぞ、と思い、机の下に隠れることにした。驚いたマメが部屋を出ていってしまった。呼んでもこちらには来ない(元から)。今思えば、無理にでも机の下に引きずり込むべきだったと思う。激しい横揺れが続いたのは体感時間にして1分半ほどだったろうか、机の脚にしがみつきながら、部屋に戻ってきて布団の上で揺られながら変な顔をして座っているマメを見ていた。

揺れが収まった後、家の中を見て回る。揺れは激しかったが、特に物が落ちたりして壊れた様子はない。猫のはなちゃんが見当たらないが、いつものことなのであまり心配しないでおいた。またどこかに潜り込んでいるのだろう。パソコンを使おうとして、給電されていないことに気付く。ブレーカーが落ちたのかと思ったが、配電盤を調べても問題がない。どうやら停電のようだ。

iPhoneとラジオで事態の重大さを知る。

しばらくして母がパート先から車で帰宅。帰宅途中の走行中に地震に遭ったが、電線が落ちてくるのが怖くてそのまま走っていたらしい。途中、町田市内の信号が消えていたそうだ。

しばらく停電が続きそうだったので、母と家中のランプと電池をかき集める。自転車のランプが2つあって助かった。しかし意外と単3電池の予備がない。iPhoneのバッテリーも心許ない。今度エネループを買い足しておかなければと思う。非常用品を入れたバッグがどこかに仕舞い込んであるはずだが見つからない。非常時になって初めて身にしみる防災対策の重要性。

電池と食料を買い足しにと母が車で出かけた。が、すぐに戻ってきた。どこも停電で営業できないと判断して閉めてしまっていたらしい。危ないので外出を止めるべきだったが、気付いたときにはいなかった。

携帯電話は発信すらできないが、データ通信は可能だったので、メールで家族全員の安否確認を取ることができた。妹は運悪く表参道まで出かけていたため、6時間歩いて帰宅する羽目になった。川崎市までは明るく、町田市に入った途端に真っ暗だったので驚いたという。帰宅ルートの確認にはiPhoneがとても頼りになったそうだ。それでもメールにはかなりの遅配が生じていたので、iPhoneを持っている妹2人にはSkypeを使わせることにした。はなちゃんは妹の帰宅に合わせて出てきた。

水道とガスは止まっていなかったので、母が地震の前に買ってきていたピザをフライパンで温め、お湯を沸かして紅茶を入れ、ラジオを聴きながら食べた。母と妹は今日の話で談笑していて、それほど不安でもなさそうだ。

今日は風呂を諦め、皆早めに布団に入ることにした。妹がどこからかロウソクのセットを探し出し、家中に灯してくれた。布団の中でなかなか寝付けないでいると、エアコンからピピッという音がした。電源が復旧したようだ。妹が風呂場に入る音を聞いて、眠りについた。

時代の変わり目

2011.3.15

屋久島 2006.9.29

なんだかちょっとぎすぎすしてきたので、屋久島の写真でも見て落ち着きたい。
ほら、杉の木の甘い香りがするでしょう?あ、僕花粉症なんだった…

13日の新聞で、板橋区の男子高校生が取材を受け、節電のために携帯電話や携帯音楽プレーヤーも使えなくなるかもしれないことを聞かれて「つらい思いをしている東北の被災者のことを考えれば大したことはない」と答えていた。少し涙が出た。

人々の意識が大きく変わろうとしている。都市全体を止めないために、全員が少しずつ譲り合うことができるなんて、僕も信じていなかった。しかしそれは日ごと達成されつつある。

本当は、誰も信じていなかったと思う。原子力が誰のためにもならないことも、温室効果ガスを減らさなければいけないことも、節電が必要なことも、選挙に行かなきゃ何も変わらないことも、頭ではわかっていた。けれども、自分一人が何かしたところで、結局世の中には大して影響がないのだと、半ば諦めていた。

しかしそれは間違っていた。僕達には、それを成し遂げる力がまだあったのだ。力を合わせて、大きなことを成し遂げる力が。勉強代は途方もなく高くついたが、この学びはこれからとても大きな力になるはずだ。それも、世界を変えることができるほど大きな力に。

時代が大きな転換点を迎えている。全ての人の日々の暮らしに変化が現れたのは、皆を乗せた車が急ハンドルを切ったからだと思う。ハンドルを切っている間は辛い時間が続くかもしれないが、ハンドルが元に戻ればすぐに慣れるし、向かう先はきっと景色のいい場所だ。

人々が力を合わせる方法を知ったのだから、日本と世界は、これからきっと良くなる。
だから僕達の手が届く範囲で、僕達が今できることをしていこう。