2011.4.18
写真は去年花見に行く途中で撮ったもの。たぶん引っ越しの最中。なぜかとても気に入っている。
---
地震が起きてからずっと、自分に出来ることは何なのか考えている。これだ!というものはまだなく、とりとめもないことばかりだが、自分なりに考えたことを残しておきたい。
支援の方法。一般人に過ぎない僕ができることといえば
・直接支援(ボランティアへの参加など、現地へ行って援助する)
・後方支援(寄付、物資の郵送など)
の2つが大きなところだろう。直接支援は何度も考えたが、普段ろくに運動してない自分が体力の低さから足手まといになるところが容易に想像できた。
支援活動は大切なことだが、それは社会における自分の基盤が無ければできないことであり、自分の仕事や、生活のためにやるべきことも同じくらい大切で、どちらかに偏りすぎてもいけない。となると、様々ある後方支援の中でも、援助団体への寄付や、現地の人達への物資の輸送が妥当なとこだろうか。
それから、継続的に支援すること。一度大きなお金を落としたから、とか、落ち着いてきたから、という理由で、興味を失ってはいけない。復興は年単位で進められる。1ヶ月に一度でもいいので、自分に何が出来るか考える時間を作ること。カレンダーに書き込むか、いつも使っているスケジュール管理ソフトに繰り返し予定として入力する。
そして、困っている人々は、福島だけでなく、世界中のあらゆる場所に、ずっと前から存在すること。
誰かが言った。「この震災時に、笑っているのは不謹慎だ」と。では、震災前なら良かったのだろうか。アフガニスタンで爆撃によって家族を失った人がいても、日本でテレビを見て笑っていられるのは不謹慎ではないのだろうか。アフガニスタンは遠い国で、日本にはあまり関係ないから?タジク人が困っていても別にいいけど、日本人が困っているのは辛いから?
宮沢賢治は「世界ぜんたいが幸せにならないうちは、個人の幸せはありえない」と言った。真理だと思う。でも、そんなことを言うのなら、誰一人明るく暮らすことはできなくなってしまう。たぶん日本に住む人全員が、幸せではありえない、ということになるだろう。
答えはない。でも、今度の震災は、そのことを考えるきっかけになったと思う。福島やその他の震災被災者についても考えていかなければならないけれど、困っている人達は世界中にもたくさんいる。被災した人達を身近に感じたことで、遠い国で同じ思いをしている人達まで意識が及ぶようになっていけばいいと思う。
2011.4.11
今日は自宅作業にするつもりだったが、仕事がたてこんでいたので出勤することにした。
昼休み、前回は満席で入れなかった、会社の近くの天ぷら屋さんに同僚と足を運んだ。
今日は12時きっかりに会社を出て、まだ席に余裕があるうちに座ることができた。
天丼を注文。とてもおいしい。それにこんなに糠の匂いが残る漬け物は久しぶりに食べた。
全然嫌な臭いじゃない。きっとお店で漬けているのだろう。
混雑し始めた店を後にし、近いうちにまた来ようと思った。
---
もう何年も昔、ある人が、日本の平和は薄氷の上に築かれていると書いていた。
当時はよくわからなかったが、この数々の厄災を経験してはじめて
その意味を身にしみて感じるようになった。
3月11日を境に、世界はすっかり変わってしまった。
それは世界そのものが変わったわけではなく、主観が変わってしまったということ、
僕にとっての世界が変わってしまったということだった。
世界は昔も今も同じままだ。いつだって地震は起きるし、津波もやってくるし
原発の脅威も変わりはない。
3月11日に変わったことは、その事実を経験として知ったこと、
そしてその事実と向き合って生きていかねばならなくなったということだった。
あの日、死はすぐそこまでやって来ていた。
死神に手を取られてしまうか否かは、誰にも分からない紙一重の違いに過ぎなかった。
そしてその事実は、これから本当にその日がやってくるまで
問われ続けるのだと思う。
---
昨日、眠る前に、京都のおじいちゃんちの庭のシンボルだった柿の木が
痛んでいたために伐られてしまったことと、
おじいちゃんが大好きだった相撲が、今はテレビに映らないことを考えていた。
夢の中で、今はもういないおじいちゃんに会った。
夢の中でおじいちゃんは、長屋らしき小さな木造の家に一人で暮らしていた。
それなりに一人暮らしを楽しんでいるようだった。
目が覚めて、もっといろんな話をしておけばよかったと後悔した。
でも、この日本の惨状を目にする前に、美しい日本を心に抱えたまま
眠りについたおじいちゃんは、幸せだったのかもしれない、とも思った。
2011.3.15
なんだかちょっとぎすぎすしてきたので、屋久島の写真でも見て落ち着きたい。
ほら、杉の木の甘い香りがするでしょう?あ、僕花粉症なんだった…
13日の新聞で、板橋区の男子高校生が取材を受け、節電のために携帯電話や携帯音楽プレーヤーも使えなくなるかもしれないことを聞かれて「つらい思いをしている東北の被災者のことを考えれば大したことはない」と答えていた。少し涙が出た。
人々の意識が大きく変わろうとしている。都市全体を止めないために、全員が少しずつ譲り合うことができるなんて、僕も信じていなかった。しかしそれは日ごと達成されつつある。
本当は、誰も信じていなかったと思う。原子力が誰のためにもならないことも、温室効果ガスを減らさなければいけないことも、節電が必要なことも、選挙に行かなきゃ何も変わらないことも、頭ではわかっていた。けれども、自分一人が何かしたところで、結局世の中には大して影響がないのだと、半ば諦めていた。
しかしそれは間違っていた。僕達には、それを成し遂げる力がまだあったのだ。力を合わせて、大きなことを成し遂げる力が。勉強代は途方もなく高くついたが、この学びはこれからとても大きな力になるはずだ。それも、世界を変えることができるほど大きな力に。
時代が大きな転換点を迎えている。全ての人の日々の暮らしに変化が現れたのは、皆を乗せた車が急ハンドルを切ったからだと思う。ハンドルを切っている間は辛い時間が続くかもしれないが、ハンドルが元に戻ればすぐに慣れるし、向かう先はきっと景色のいい場所だ。
人々が力を合わせる方法を知ったのだから、日本と世界は、これからきっと良くなる。
だから僕達の手が届く範囲で、僕達が今できることをしていこう。
2011.3.13
よく晴れた昼下がり。自宅の自室で来週の確定申告期限を前に、はじめての青色申告のため、雀の涙の程の初年度の利益にため息をつきながら机の前で書類と格闘していた。背後では犬のマメが布団の上で寝息を立てている。
カタカタと戸棚が揺れ始め、また地震か…と思った。今回は長いなあ、とのんびり構えていたが、これはちょっといつもと違うぞ、と思い、机の下に隠れることにした。驚いたマメが部屋を出ていってしまった。呼んでもこちらには来ない(元から)。今思えば、無理にでも机の下に引きずり込むべきだったと思う。激しい横揺れが続いたのは体感時間にして1分半ほどだったろうか、机の脚にしがみつきながら、部屋に戻ってきて布団の上で揺られながら変な顔をして座っているマメを見ていた。
揺れが収まった後、家の中を見て回る。揺れは激しかったが、特に物が落ちたりして壊れた様子はない。猫のはなちゃんが見当たらないが、いつものことなのであまり心配しないでおいた。またどこかに潜り込んでいるのだろう。パソコンを使おうとして、給電されていないことに気付く。ブレーカーが落ちたのかと思ったが、配電盤を調べても問題がない。どうやら停電のようだ。
iPhoneとラジオで事態の重大さを知る。
しばらくして母がパート先から車で帰宅。帰宅途中の走行中に地震に遭ったが、電線が落ちてくるのが怖くてそのまま走っていたらしい。途中、町田市内の信号が消えていたそうだ。
しばらく停電が続きそうだったので、母と家中のランプと電池をかき集める。自転車のランプが2つあって助かった。しかし意外と単3電池の予備がない。iPhoneのバッテリーも心許ない。今度エネループを買い足しておかなければと思う。非常用品を入れたバッグがどこかに仕舞い込んであるはずだが見つからない。非常時になって初めて身にしみる防災対策の重要性。
電池と食料を買い足しにと母が車で出かけた。が、すぐに戻ってきた。どこも停電で営業できないと判断して閉めてしまっていたらしい。危ないので外出を止めるべきだったが、気付いたときにはいなかった。
携帯電話は発信すらできないが、データ通信は可能だったので、メールで家族全員の安否確認を取ることができた。妹は運悪く表参道まで出かけていたため、6時間歩いて帰宅する羽目になった。川崎市までは明るく、町田市に入った途端に真っ暗だったので驚いたという。帰宅ルートの確認にはiPhoneがとても頼りになったそうだ。それでもメールにはかなりの遅配が生じていたので、iPhoneを持っている妹2人にはSkypeを使わせることにした。はなちゃんは妹の帰宅に合わせて出てきた。
水道とガスは止まっていなかったので、母が地震の前に買ってきていたピザをフライパンで温め、お湯を沸かして紅茶を入れ、ラジオを聴きながら食べた。母と妹は今日の話で談笑していて、それほど不安でもなさそうだ。
今日は風呂を諦め、皆早めに布団に入ることにした。妹がどこからかロウソクのセットを探し出し、家中に灯してくれた。布団の中でなかなか寝付けないでいると、エアコンからピピッという音がした。電源が復旧したようだ。妹が風呂場に入る音を聞いて、眠りについた。
2011.3.2
世の中には三つのタイプの人間がいる。物事が起きるのをじっと待つ人と、起きた結果に一喜一憂するだけの人。そして、物事を自分で切り開こうとする人。私は三番目でいたい。そうすれば必ず幸運をつかめると信じているんです。
ニューヨークの最貧困地区に住む男性
夕刊の海外リポートでこのような貧しくても誇り高く生きる人が紹介される一方、二面では高名なファッションデザイナーが差別発言で解雇されたことが取り上げられていて、とても対照的だった。つくづく、人の才能と人格の間には関係がないのだなと思わされる。
商売の才能があるとか、スポーツの能力が秀でているということは、それはそれでとても素晴らしいことだ。でも、勘違いしやすいのだが、その人の才能の高さと、その人自身が人格者かどうかは全く関係がない。どんなに素晴らしい能力を備えていても、人格が伴わなければ尊敬には値しない。このごろは、大きな事業を成し遂げた人が、あたかも人格者として持ち上げられることが多いようだ。気をつけなければいけないと思う。