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アフガンボックスカメラワークショップに参加してきました

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よく晴れたゴールデンウィークのとある日、スカイツリーのほど近くにあるバックヤード・プロジェクトという写真家さん達の共同スペースで開かれた、アフガンボックスカメラという変わったカメラのワークショップに参加してきました。

僕を含めて当日の参加者は7名。写真家さんや雑誌社の方など、やはり何らかの形で写真に関わっている方が多いようです。まずはバックヤード・プロジェクトでプロジェクターを使って簡単にアフガンボックスカメラの成り立ちとその仕組みの説明を聞きました。アフガンボックスカメラというのはその名の通りアフガニスタンで使われていたカメラで、デジカメの無い時代に町の写真屋さんが使用していたものだそうです。政情不安やデジタル化の波などによって絶滅しかけていたこのアフガニスタン独特の文化をオーストラリアの写真家が発掘し、最近になってクラウドファンディングを使って世に広めたのだとか。これを知った今日の先生二人がご自身でそれぞれ自分のアフガンボックスカメラを作り上げ、ワークショップ開催に至ったとのことです。

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座学が済んで、アフガンボックスカメラを(先生が)抱えて近くの公園へ。本当によく晴れて暑いくらいです。明るい光がたっぷりと注ぐこんな日は、アフガンボックスカメラを使うのに最適な日だということをすぐに理解することになります。

さて公園に着きますと、設置する場所を選ぶ必要があります。アフガンボックスカメラで撮影する場所は

  • 現像時に利用できる日陰があること
  • 被写体が暗すぎないこと
  • 安定して三脚を設置できること
  • 近くに荷物が置けること

あたりを考える必要があるようです。カメラを設置したら、撮影の準備です。

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こちらは担当してくださった前田先生のアフガンボックスカメラ。カメラの蓋を開いて、中にネガ印画紙、現像液、定着液を用意します。印画紙はもちろんこの時点で感光してしまわないよう、黒い袋に入れた上で箱に収められた状態です。現像液が右側なのは、蓋についている覗き穴の位置に合わせるためです。また後部のファインダー窓は開閉可能になっていて、扉自体は赤い半透明のプラスチックになっています。赤い光は印画紙に反応しにくいためです(全く反応しないわけではない)。準備ができたら蓋をしっかり閉めます。

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カメラの後ろからファインダー窓を開いて覗いてみたところ。この写真は箱の手前側にピントが合ってしまって残念な感じですが、実際は箱の中のファインダーにカメラの前の景色がとても美しく上下左右反転した状態で映っています。反転しているのはレンズを通して見ているからですね。

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こちらは會田先生のアフガンボックスカメラ。構造は一緒ですが、横開き、ファインダー窓がレンズ、ピントスクリーンに印画紙をセットしやすいフレームがあるなど、いくつか違いがあります。作り手の個性がカメラに反映されるのもアフガンボックスカメラの面白いところですね。

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こちらは使用した印画紙。富士フィルムのキャビネ判の号数紙を半分に切ってあります。ネガ印画紙というのがポイントです。ネガのプリントを一体どうやってポジに反転するのか?その答えは実にシンプルなものでした。

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さて準備ができたら撮影です。カメラの位置、角度、ピントスクリーンの位置を調整して、被写体がピントスクリーンに正しく写っているように設定します。被写体が人間の場合、被写体にもご協力をいただいて位置などを微調整します。ピントの位置が決まったら、上の写真にあるようにピント調節棒に洗濯バサミをつけてピント位置をメモしておきます。

次にレンズキャップを付けるなどしてカメラ内部を全暗状態にし、一旦スクリーンを後部に移動させて作業用の穴から手を突っ込み、ピントスクリーンの前側に印画紙をセットします。この作業は印画紙が感光してしまわないようにするため、完全に手探りで、

  1. 印画紙を箱から1枚取り出す
  2. 印画紙の袋と箱をしっかり閉じる
  3. 印画紙をピントスクリーンに正しく取り付ける

という工程を行う必要があります。印画紙は表と裏があり、また取り付け位置が悪いと像の写る位置も片寄ってしまうので、事前に十分練習しておかなければなりません。印画紙をセットできたら、ピントスクリーンの位置を元に戻します。

普通の写真用フィルムの感度は400くらいですが、今回使用するのはネガ印画紙。感度は実に6程度しかありません。しかも被写界深度つまりピントの合う範囲が狭く、なるべく絞りを絞る必要があります。必然的にとても長いシャッター時間が必要になります。コンディションは正午過ぎ、晴天、木陰。先生の判断で、露出の設定は絞りをf16、シャッタースピードは2秒となりました。カメラにシャッター機構は無いので、代わりにレンズキャップ設定した時間だけ外して露光させます。

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撮影が済んだら現像です。再びピントスクリーンを後部に移動させ、手を入れて印画紙を取り外し、カメラの中に用意しておいた現像液のバットに入れます。このとき役立つのがカメラ上部の覗き窓で、光が漏れないよう眼をぴったりとここにつけて覗くと、真下にある現像中の印画紙の様子を確認することができます。現像が進み過ぎると印画紙が真っ黒になってしまうので、ここで現像液から引き上げる頃合いを見計らうわけです。印画紙に現れた像の濃さが適度になったら、隣の定着液のバットに移動して、1分ほど定着処理をします。

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ここまで済んだら、やっと蓋を開けて結果を確認できます。出来上がったネガを見て一同驚きの声。しっかり写っています!先生を除き全員初めてのわりに、それぞれ特に大きな失敗もなく順調な出だしです。

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こちらは僕が撮影させてもらった別の参加者さんのネガですが、初めてにしては良い出来ではないでしょうか。階調もよく出ています。

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さて、どうやって出来上がったネガをポジにするか。その答えは「ネガを撮影する」でした。カメラのレンズの前に複写用の板を取り付けられるようになっており、そこに出来上がったネガを貼り付け、それを再度撮影するのです。ピント合わせから現像までは撮影時の手順と同じ。実にシンプルです。

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こうして複写が完了すると、めでたくポジの完成となるわけです。このポジは印画紙の取り付け位置が悪かったため、下に複写台の板まで写ってしまっていますね。

ネガの印画紙を使う利点がここにあって、一枚のネガを作成したら、条件を変えてポジを何枚も作ることができます。ここはフィルム写真と同じ考え方ができるわけです。実際、過去には複製時に焼き込みや覆い焼きなどが行われていたようです。

実に滞り無くお互いの撮影が済んでしまったので、ここからは各自のクリエイティビティを発揮して移動しながら好きな物を撮ってみようということになりました。

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公園に来ていたおじさんを撮ってみたり。

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どこまで接近して撮れるか試してみたり。

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どこまで恐ろしい写真が撮れるか試してみたり。

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僕は前田先生にモデルになっていただき、木々の間に立ってもらって撮影してみました。これがネガ。紙はL版程度の大きさです。引き伸ばしレンズのイメージサークル(投影像)の大きさがはっきりわかりますね。

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こちらがポジ。我ながらなかなか雰囲気のある写真ではないでしょうか。肉眼では木々の間にビルが見えたのですが、うまい具合に白飛びしてくれました。この引き伸ばしレンズは確か焦点距離80mmだったと思いますが、35mm判換算では24mmくらいになるようで、かなり広角です。もうちょっと近づいて撮ればよかった。

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こちらは二股の樹を近くで絞り開放で撮ってみたもの。ピントとカメラの角度が少しずれてしまったようで、思うような効果が得られませんでした。しかしネガはとてもシャープですね。

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最後は皆で記念撮影。日が暮れていく中での撮影だったので、露光時間は20秒にもなりました。左から2番目の前田先生が透けて見えるのはシャッター係だったからで、レンズキャップを外し→ダッシュで列に加わり→露光を待ち→ダッシュしてレンズキャップをはめる、という軽業を演じなければならなかったため。出来上がった写真は、撮影時期がいつだかわからないようなビンテージ感あふれる写真になりました。印画紙に直接焼き付ける写真というのは、フィルム写真ともまた違った質感があるようです。

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ワークショップ終了後は浅草の有名なビルに繰り出して打ち上げ。最後までとても楽しい一日でした。一緒に参加した方の一人は、既にマイアフガンボックスカメラのプロトタイプを作成しているようです。僕も自分のアフガンボックスカメラを構想中です。ひとまずなるべく簡単な構造で作ってみようと思っています。


非常に充実した内容のワークショップでした。今のところ次回の予定は未定だそうですが、興味を持たれた方はバックヤード・プロジェクトをチェックしてみてはいかがでしょうか。自分の手で、その場でプリントを作り上げる面白さは他にないものだと思います。写真の基本がわかりますし、カメラは光を捉える装置だということが非常によくわかりました。ただ写るということがこんなに面白いというのもなかなか体験できないことではないでしょうか。

KYOTOGRAPHIE 2016 3日目

2日目からの続きです。

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今日も活動はお昼から。昼ごはんはちょっとした縁のある三条のインドカレー屋「ケララ」で。カレーはもちろん、トマトスープもしっかりとスパイスが効いてておいしかったです。さあ今日も行ってみよう。

KG#2b Time stands still | サラ・ムーン (招喜庵)

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三条からはそれほど遠くはありませんでしたが、バスを待つ時間がもったいなかったのでタクシーで招喜庵へ。ここは作庭家の重森三玲という人の元お屋敷で、予約すれば庭も見学できるとのこと。タクシーの運転手さんは招喜庵のことは知らなかったものの、重森三玲はご存知だったようで、東福寺や松尾大社の庭が氏の作品であることを教えてくれました。「喜びを招く。いい名前ですね」

展示はお屋敷中に黒いフレームで吊るされた作品が展示され、土間の壁では映像作品が流れっぱなしになっていました。荘厳な感じの映像のBGMが常にお屋敷全体に流れていて、土佐和紙にプリントされたというサラ・ムーンの何とも捉えがたい写真の不思議さを際立たせます。映像は動物園の動物達の白黒の粗い映像で、やはり写真と共通する作風があります。サラ・ムーンがこの作品を写真ではなく映像にしたのは、動物の動きの中に何かを認めたからなのではないかと思いました。この世界に起きている物事に対する興味や、不思議だなと思う気持ち、自然に対する畏怖の念。サラ・ムーンの作品のベースにあるのはそういったもののような気がします。

KG+#9 Out of Sight. | デルフィン・パロディ (白亜荘)

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招喜庵を出て地図を見ると、すぐ近くに副会場の場所を示す数字を見つけたので、行ってみることにしました。着いてみると実に古めかしい、時代を感じる建物です。通りの向かい側は京都大学なので、ここは学生寮なのでしょう。古ぼけた壁に二枚一組で、福島の人々の写真と言葉が貼り付けてありました。場所とマッチしているかどうかは微妙ですが、よいドキュメンタリーだったとは思います。部屋からは楽しげな話し声が聞こえ、学生達の生活を身近に感じながら鑑賞させてもらいました。

KG#10 The Green Train 緑皮車 | 銭海峰 (ロームシアター京都)

格安の列車で中国を旅する人々を撮った作品。見本の写真の雰囲気がとても楽しげで期待していたのですが、この写真以外はあまり土地柄や時代性を感じるものがなく残念。写真に付随して撮影地とチケットが示されていたんですが、鑑賞者が知りたいのは地名ではなくストーリーではないでしょうか。撮影状況や出来事がほんの一言でも付記されていれば、もっと楽しめたのではないかと思います。

KG#9 PLANKTON 漂流する生命の起源 | クリスチャン・サルデ、高谷史郎、坂本龍一 (京都市美術館別館)

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多種多様なプランクトンの美しい顕微鏡写真の展示。海洋調査船「タラ号」での調査結果が元になっているとのこと。プランクトンはそれぞれが実にユニークな色と形をしていて、暗い会場内に黒背景で撮られた写真は細部までよく表現されていました。映像のインスタレーションは、床に並べられたスクリーンにある効果をつけたプランクトンの映像をBGMと共に流すというものでした。全体的に写真と映像は美しかったのですが、写真とプランクトンの名前以上の説明がほぼなく、鑑賞時に惹きつけられたプランクトンへの興味をさらに膨らませる機会を逸してしまっており、それが実にもったいなかったです。会場内の物販スペースでタラ号の広報誌「Le journal Tara Expeditions(日本語版)」が無料配布されており、これが非常に充実した内容なのですが、気付く人は少なそうです。

同京都市美術館では「コンデナスト社のファッション写真でみる100年」も開催されていましたが、こちらは東京で既に観ていたのでスキップ。

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ちなみに近くの公園ではKYOTOGRAPHIEの野外イベントが開かれていて楽しげな雰囲気でした。

KG#5 Sarah Moon 1, 2, 3, 4, 5 | サラ・ムーン (何必館)

サラ・ムーンの新しい作品集の刊行記念展ということで、何必館所蔵のプリントからのセレクト。ギャラリー素形と招喜庵で観た展示があまりに印象的だったので、比較的モダンな造りの何必館での展示は見劣りしてしまいました。特にこれというテーマに絞られていなかったこともあるかもしれません。

KG#7 Tryadhvan | 古賀絵里子 (長江家住宅)

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古賀さんのことは存じあげておらず、KYOTOGRAPHIEのパンフレットを見た時点でもあまり観に行く気にならなかったのですが、昨日のスフェラビルで古賀さんの写真集「一山」を見かけて、これは観に行かねば、と決意。一番最後になってしまいましたが、これが今回最も素晴らしい展示でした。長い長いロール紙に直接モノクロ写真をプリントし、それを京都市指定有形文化財でもある長江家住宅に宙に浮かせるような形で展示していて、それがそのまま作家ご自身の第一子の出産前、出産、出産後という時間の流れの表現になっています。古賀さんの旦那さんは高野山のお坊さんだそうです。穏やかな表情で生まれたばかりのお子さんを抱いている旦那さんの姿は、親と子、時間の流れ、場所の持つ力、漂う静けさなど、様々なものを感じさせる一枚でした。時間の流れの表現は、古賀さんの家族のストーリーとも言え、去るものと生まれてくるものなど、ただ流れていく時間を定着しただけの映像が、実に普遍的で感動的な力を持っていました。


堀川御池ギャラリーの福島菊次郎さんの写真を観られなかったのは残念ですが、観たかった展示はほぼ網羅できたと思います。振り返るとやはり今回はサラ・ムーン特集だったなぁという印象です。三箇所のどの展示も良かったですが、薄暗い招喜庵の座敷が不思議にサラ・ムーンの作品と合っていて、いつか氏がカメラに収めた光が、いまここにこうやって再現されているのだ、ということが、なぜだか強く感じられました。できることなら畳に坐ってずっと眺めていたかったです。

堀川御池ギャラリーの「うまれて1時間のぼくたち」、京都市美術館別館の「PLANKTON 漂流する生命の起源」、誉田屋源兵衛 黒蔵の「Midway: 環流からのメッセージ」、そして長江家住宅の「Tryadhvan」。それぞれ強く訴えるものがあり、言葉はなくとも自然と考えさせられるものがあるという点で一致しています。それを実現しているのはシンプルで巧みに撮影された写真の力と、見せ方の上手さなのではないかと思います。無名舎のマグナムの展示は、写真は素晴らしくても見せ方がうまくないと伝わるものも伝わらない、という好例になってしまっていました。何かを伝える際、写真そのものももちろん重要ですが、その見せ方というのも同じ位重要なのだと感じました。

展示場所そのものも楽しく、今年もいい展示をたくさん観ることができました。来年も楽しみです。

KYOTOGRAPHIE 2016 2日目

1日目からの続きです。

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昨日の夜が遅かったので今日はお昼から。三条のうどん屋さん「うね乃」で若竹うどんを食べました。元々ずっとおだし屋さんをやっていたお店で、うどん屋さんを始めたのは2年前だそう。今回この旅行に持って行った2眼レフで軒先の桶を撮っていたのがきっかけで、女将さんにいろんな話を聞かせてもらいました。記念にとお店の皆さんを撮らせてもらえたので、頑張っていいプリントを作って送る約束をしました。

KG#11 LA-LV / LDN_ Process | アントニー・ケーンズ (SferaExhibition)

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今日の1カ所目は祇園スフェラビルの展示。街を撮影して、その画像をiPadに表示させ、それを感光材料に密着させてプリントするというユニークな方法で制作された作品。他にも電子書籍リーダーのKindleをハックして自作の写真集に仕立て上げていたり、写真を表示させた状態の電子インクディスプレイを単体で作品としていたりと、出力の仕方はなかなか面白かったのですが、写真自体はただ抽象的なだけであまり訴えるものを感じませんでした。コンセプチュアルな作品としては昨日の桑嶋さんの写真と対照的で、こちらはコンセプトに作品を作らされすぎていて絵そのものの面白さに欠ける印象。

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ちなみにスウェーデンのデザイナーが設計したというこのスフェラビルは、ゆったりとした空間をもつ各階を長い階段で繋げていて、地階はカフェ、1階がセレクトショップ、2階がギャラリーになっていました。外装と共になかなか面白い構造をしているので建物を観に行くにはいいと思います。地階の正面には小川があり、まだ5月だというのに子供たちがはしゃぎ回っていました。

KG#12 Light by Erwin Olaf presented by Ruinart | アーウィン・オラフ (Asphodel)

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シャンパンの保存庫を撮ったモノクロ写真。大判で細部まで細かく描かれていますが、シャンパンの予備知識が無いせいか僕には魅力がよくわからず。3階は臨時のシャンパン・バーとなっていましたが、写真展を見に来てついでにシャンパンを飲んで行こう、という人ってどれだけいるのだろうか。京都祇園界隈の上流階級ではそういうことになるのかもしれません。

KG#14 BRICOLAGE PHOTOGRAPHY | K-NARF (村上重ビル)

そうこうしているうちにもう夕方。こちらではフランス人作家が在廊して、自身の作品を実際に制作していました。手製のプリンターで写真をプリントし、インクで汚しを加え、縦横無尽にテープを貼り付けて「ネオ・ビンテージ」写真を作っていく様は観ていて楽しかったです。どんなことを考えながら制作しているのか聞いてみたかったけど、なんとなく機を逸してしまい聞けずじまい。東京で活動をしているそうなので、また会うこともあるかもしれません。

今夜は京都の家で伯父さんと飲む予定なので早めに切り上げ。錦市場で生麩田楽やだし巻きなどおいしいものを買い集めて、京都伊勢丹の日本酒売り場で特集していた「酔鯨」を買って帰宅。錦で買った「ひろうす(京都版がんもどき)」は、昆布と鰹節でだし汁を作って煮て食べました。足りなかった塩味はとろろ昆布でカバー。祖父の遺影に酔鯨を一杯捧げながら、今日もおいしく楽しい一夜でした。

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3日目に続きます。

KYOTOGRAPHIE 2016 1日目

今年もKYOTOGRAPHIEに行ってきました。美術館から京町家まで、京都市中の新旧様々な施設を使って世界各国の写真家の作品の展示が行われる写真イベントで、2013年から毎年この時期に開かれています。多くの作家の写真が一度に観られるのもさることながら、普段は入れないような京都の古い建物に入ることができたり、会場によってそれぞれ趣向を凝らした展示方法も魅力的です。

展示は大きく主会場と副会場(KG+)に分かれていて、主会場の入場にはチケットが必要ですが、副会場は入場無料となっています。主会場は14箇所、副会場は40箇所もあります。パンフレットに主会場の展示内容と位置のわかる地図が載っていますし、各会場で配布されている無料の小冊子に副会場の展示内容が載っているので、あらかじめ大体の見当をつけてルートを設定しておくと見て回りやすいと思います。

前回までは2日間でやや弾丸ぎみに見て回っていましたが、今回は3日かけてじっくり見て回ることにしました。それでも見そびれた展示もありましたが。

KG+#14 真夏の死 | 桑嶋維 (便利堂コロタイプギャラリー)

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日本で唯一、コロタイプという版画技法を使った印刷を行っている印刷所のギャラリー。一辺1m以上の巨大な紙を4つ組み合わせ、コロタイプで刷った徳之島の闘牛(牛同士で闘う闘牛)をプリント。八重山最強と言われた闘牛の姿を、表に現役時代、裏に晩年という形で構成していました。ギャラリーに入るとちょうど桑嶋さんがギャラリートークを始めるところで、いかつい風貌とは裏腹に話が非常に面白く、写真にまつわる話もいくつか聞くことができました。桑嶋さんにとって、写真は自身の研究成果を発表する形であるように思われます。コンセプチュアルなプロジェクトをいかに見た目に面白くできるかという部分に腐心しているという話はとても参考になりました。イギリスのデザイナー集団tomatoとも繋がりがある(なんとこの展示のフライヤーのデザインはtomatoによるもの)というのはとても意外でびっくり。

桑嶋さんの後ろで撮影しているのは中学生の娘さん。とても丁寧にお父さんの作品の説明をしてくれました。

KG#2a Late fall | サラ・ムーン (ギャラリー素形)

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今回のKYOTOGRAPHIEはサラ・ムーンの展示がメイン会場の3つを占め、ここはその一つ。去年銀座のギャラリーでプリントを観てから気になっていた写真家だったので嬉しい。サラ・ムーンの写真の魅力は言葉にするのが難しいです。たぶん言葉以前のものを題材にしているからだと思います。このギャラリーの展示は薄暗い空間での人の背丈ほどもある巨大な写真の展示と短編の映像の上映。特に植物の写真に何かが引っかかるけれども、それが何なのかわからない。この人の写真を観る時はいつもそうです。モヤモヤしたものを抱えながらギャラリーを後にしました。

KG#5 Midway: 環流からのメッセージ | クリス・ジョーダン+ヨーガン・レール (誉田屋源兵衛 黒蔵)

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太平洋のミッドウェー島はアホウドリの繁殖地になっています。しかし近年、人の捨てたゴミが大量に漂着しており、食べ物と人工物を区別できない鳥達がこれを食べてしまう。かくしてアホウドリの多くは胃をプラスチックで満たし死に至るのです。大量のプラスチックにまみれたアホウドリの死体の写真は衝撃的です。そこに写っているペットボトルの蓋は、僕の捨てたペットボトルの蓋かもしれない。写真の持つ大きな力を感じる一方、雑談まじりにギャラリーを後にする学生たちを見るにつれ、その力すら及ばない人々のことを思いました。

KG#6 EXILE–居場所を失った人々の記録 | マグナム・フォト (無名舎)

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アメリカの写真家集団マグナム・フォトが、半世紀をかけて撮り続けてきた、様々な事情で国を追われた人々の姿。京町家の中で、プリントとその説明が書かれた板を手にとって眺めるというのは、普段接点のない人達を近くに感じてもらいたいという試みなのだと思いますが、それはあまりうまくいっているとは思えなかった。これなら点数を絞って大きいプリントで見せた方が良かった。展示方法と主題がマッチしておらず残念。

KG#3 うまれて1時間のぼくたち | ティエリー・ブエット (堀川御池ギャラリー)

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パリ郊外の病院で、生後1時間以内の赤ちゃんを子宮を模した会場内にクローズアップで並べた展示。生まれて数十分しか経っていなくても、もう十分にそれぞれの個性が際立っていて、観ていてとても楽しかったです。赤ちゃんを正面から捉えたごくシンプルな写真だけれど、それがとても力強い表現となっていると思います。シンプルであることは余白があることだ。余白は本質を強調して、広がりを生む。

時間切れで同堀川御池ギャラリーのもう一つの展示は観られず。夜は京都の友人と会って、松尾大社の近くのお寿司屋さんに連れて行ってもらいました。面白いご主人とおいしいお寿司で楽しい夜でした。

2日目に続きます。

瞑想日記 37日目

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日記は少し間が空いてしまいましたが瞑想は続けています。

ヴィパッサナー瞑想を本格的に始めて1ヶ月が過ぎました。自分でも以前より心が落ち着いて、イライラする事が減り、穏やかな気分でいられる時間が格段に増えたと思います。最初は少し抵抗のあった「慈悲の言葉」もより深く念じられるようになったし、そのことが日常的に心を落ち着かせる基礎になっていると感じます。また、呼吸に集中するよう繰り返し練習していることが、普遍的な集中力を養うことに繋がっています。例えば何かに集中しようとしていて、気が逸れたときに「あ、今これに気が逸れたな」と気づけるようになりました。「気づき(マインドフルネス)」とはどういうことかという100%の確証はまだありませんが、既に多々瞑想の効果は上がっているように思います。

瞑想中、呼吸に集中しようとして気が逸れたことに気づく時、単なる妄想だけでなく、時折自分の心の奥に閉ざしてあった事柄にも気づくことがあります。自分の嗜好の原因や、無意識に気にかけていることにふと光が当たるかのようです。それらは決して快いものばかりではないのですが、しかし自分について知らなければならないことだと思います。意識のより深いところまで気づきの手が届くようになってきたのでしょうか。

今日の瞑想では、呼吸だけに集中できるこの時間が贅沢というか、幸せな時間の使い方だな、と思えるようになりました。たとえ一時的にでも過去にも未来にも思い煩うことなく、今、呼吸だけを感じていればいい、という時間は、心の軽くなる、ほっとする時間だな、と思えるのです。これは以前よりも集中が深まった結果だと思われますが、集中すると同時にリラックスすることも同じくらい重要だと感じていて、これが難しいです。1ヶ月経ち、瞑想のやり方に慣れてきて、やっと少しずつわかってきたのだと思います。

今まで何かを探してあちこち旅して、外側の世界を様々見てきました。しかし全て知っていると思っていた、目を向けようとも思わなかった自分の内側の世界を、実は何も知らないし、何も見てこなかったのだということを、瞑想を続ける中でひしひしと感じています。瞑想には旅と似たような楽しさがあります。それは知らなかったことを知るという楽しさです。

瞑想日記 10日目

朝9時/20分間

ヴィパッサナー瞑想の面白い特徴は、何も座って瞑想している時だけでなく、やろうと思えばどんな場所でもできるということだ。「マインドフルネス」にも、「真剣に気づきの実践をする人は、坐って瞑想しているときであろうと、坐ってないときであろうと、昼も夜も常に現象に気づいています」(P.270) とある。そこで、駅からの帰り道に歩きながらこれを実践してみることにした。歩行瞑想というそうだ。

集中の対象は、呼吸でなく「歩くこと」にした。右、左、右… と足を繰り出している動きを観察してみる。やはりこれも呼吸と同様に集中し続けるのは難しくて、すぐに心はさまよってしまう。歩行瞑想が便利なのは、気が逸れたことに気づいて集中を戻す時に、どれだけの時間気が逸れていたかを歩いた距離で測りやすいことだ。歩くことに集中→気が逸れる→気づく→さっきの曲がり角からここまで気が逸れていた、という感じだ。

雨粒が顔に当たる感触や、冷たい風を心地よく感じることも観察しようとしたが、とても難しかった。「マインドフルネス」によると、仏教における認識の段階というのは、大体こんな感じらしい:

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雨が顔に当たれば(知覚)、「冷たい雨だ」と認識し(概念化)、「これ以上濡れたくないな」「風邪をひくかも」などと考える(思考)、というのが仏教における認識プロセスの考え方のようだ。瞑想初心者には、知覚の片鱗も本当に気づくことができているのかどうかわからない。

ヴィパッサナー瞑想の目的は、継続的に気づきを得ること、つまり「ありのままを知覚し、概念化しない」ことにあるようだ。しかし知覚と概念化は無意識が一瞬のうちに行うので、通常、それを別々のものとして「気づく」ことができない。無意識の領域で扱われるこれらのことに気づくためには、非常に深い集中力が必要になるのだそうだ。たかだか10日間の瞑想経験からしても、これが容易ではないことはよくわかる。

ポピー

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母のもらってきたポピー。居間に三脚と黒バック(黒い箱の蓋)を持ち込んで撮影。照明は居間のダウンライト。花弁のにじむようなきらめきに見とれて、写真にできないかと思った。3枚目の花弁を裏から透かして撮った写真で少しそれが出ているが、あの緻密な美しさは表現しきれていないと思う。解像度や色域の問題もあるとは思うが、主として出力メディアの問題という気がする。

瞑想日記 9日目

夜8時/25分間

昨日は疲労で瞑想できなかった。まだあちこち身体が痛い。

本には「ヴィパッサナーの目的は、何にも妨げられることなくひたすら呼吸に集中することではありません/ヴィパッサナーの目的は、途切れることなく気づくことです」(P.238) とある。この点少し勘違いしていた。究極の瞑想状態は、呼吸だけに完全に集中している状態だと思っていた。ヴィパッサナーが目指すところは、どうやらそこではないらしい。気づくということが目的であって、呼吸に集中することは道具にすぎない。「実際の所、気づきの対象を呼吸にするか、心の散乱にするかということは、それほど重要なことではありません」(P.238) だそうだ。呼吸は最も普遍的なものだから気づきの対象の中心に据えられているだけで、肉体的、精神的などんな現象であれ気づきの対象になりうるし、それらに気づくことが最も重要なことだということなのだろう。

今夜は5分だけ長くした。途中でマメが部屋に入ってきて少し中断したが、瞑想自体長くは感じなかったのでよく集中できていたと思う。あぐらをかいて坐布に座ると足のしびれが強い。また背筋の張りからくる痛みも感じる。それぞれの痛みを観察の対象にするように努めた。背中の痛みを観察すると、観察している間は少しやわらいだ。足のしびれはどう観察してみてもやわらぐことはなかった。

運動不足だ。来週からまた暖かくなるようなので、身体を動かす時間を増やそう。

瞑想日記 8日目

朝11時/20分間

まだ軽い頭痛が残っている。顔を洗って目を覚まし、着替えてから瞑想。今日は雨がよく降っている。雨音を聞きながらの瞑想はなかなか気持ちがいい。

ふと昔付き合っていた人のことを思い出す。こういうことを思い出すのは、二人で高く積み上げた積み木の塔を最後には二人で壊してしまって、しかし全てが無かったことにしたくないから、それを片づけるのをためらっているからなのだろうな、と思う。積み木は全て片づけてしまっていいんだ。二人で積み木を積み上げた楽しい思い出だけ、心に残しておけばいい。

そんなことを考えてから、また呼吸に戻る。本には呼吸と雑念とを柱と象にたとえる一節があった。飛び回る心は野生の象のようなもので、それを気づきというロープで呼吸という柱に繋ぎ留めるのだと。

瞑想が正しい方向に深まっているのかどうかわからない。ヴィパッサナー瞑想を指導してくれる人に会ってみたいが、偽物につかまるのも嫌だし、どうしたものかな、と思う。

深夜2時/20分間?

10分瞑想するつもりでタイマーをセットしたらいつのまにかアプリが落ちていて、気付くと3時をまわっていた。眠気が強かったわりに集中できていたらしい。

「マインドフルネス 気づきの瞑想」をやっと半分ほど読んだ。読み進める度、瞑想で湧いた様々な疑問に事細かく答えていて、とても参考になる。簡単な入門書でなく、いきなりこの本を選んで正解だったと思う。

瞑想日記 7日目

午前10時/10分間

首筋の痛みが現れたとき、それを観察しようと努めた。痛みの範囲、強さ、深さを調べようとしたが、どれもぼんやりしていて、よく観る前に痛みは消えてしまった。よく考えると、今まで何か痛みを感じた時、こんな風に痛みと向き合おうとしたことはなかった。いや、頭痛には似たような対処をしたことがあった。頭痛薬がないのに偏頭痛が出て他にどうしようもなかった時に、感じ方を変えれば頭痛も軽くなるのではと思って、「この痛みは自分が生み出しているのだから、痛みは自分自身だ」と考えると、不思議と痛みが消えていった、ということがことが何度かあった。あれも「ありのままに観る」という点で同じことをしていたのだなと思う。

物音は多かったが比較的集中できていたようで、20分が早かった。調子のいい時は30分に伸ばしてみることにしよう。ただ、瞑想に集中することと、呼吸に集中することは違うような気がする。瞑想に集中できていても、呼吸に集中できていないことは多々あった。音とそれに対する自分の反応の見分け方はまだよくわからない。瞑想が筋トレと同じようなもので、続けていかないと効果を感じられない類のものだとしたら、その効果を感じられるのはやはり数週間後になるのだろう。楽しく続けられているので、気長にいきたい。

深夜1時/10分間

今日は午後から友人宅に招かれて楽しいひとときを過ごした。少々飲み過ぎてしまって頭が痛い。帰宅後、温かい風呂に入って緊張が解けたおかげで楽になったが、まだ少し頭痛が残っていたので、本の第10章に書かれている痛みへの対処の仕方に沿って瞑想してみることにした。

痛みを抑えようとせず、感覚を観察する。痛みそのものと、痛みへの身体の抵抗と心の抵抗をよく観る。痛みによって身体のどこでどんな抵抗(緊張)をしているのか。同時に、その身体の抵抗に対して、心はどんな抵抗(緊張)をしているのか。身体の抵抗と心の抵抗を分けて観ること。抵抗とは「私」と「痛み」のあいだにある境界線であり、自然な呼吸と共にその境界を通り過ぎると、分離がなくなって痛みと一体となり、苦しみが消える… これは本の要約で、文章に起こすと少々まどろっこしい印象になるが、実際にやってみるとこれらのことは一瞬のうちに起こる。痛みの観察を始めるやいなや、もはや痛みがどこにあるかわからない、という程早かった。もっとじっくり観察してみたかったのに、と思った程だ。寝床に就くとまた少し頭痛が出てきたので、布団の中で痛みを観察して、それが消えていくのを見守った。おかげよく眠れたと思う。